ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
変ったら変わったで嘆き、
変らなかったら変わらなかったで嘆く。

変ったら変わったと文句を言い、
変らなかったら変わらないと文句を言う。

これはもう、国民的な病か?


ここは考えどころではないだろうか。



個人的なことを言わせてもらうと、

私はここ数年で、日本という国がよくなってきていると思っています。

といっても、諸手を挙げて喜べるような状態ではないし、
問題点は、そりゃもう、多いですけども、

それでもよくなったと、
よくなってきていると、
実感できるものがあります。(*1)


そして、私自身、

いろいろ問題がありながらも、
よくなっている(=ある程度成長した)と思うし、
そういう実感もあります。

全部足りているわけじゃない、
むしろ足りない部分は多い、

しかしながら、前よりもよくなっている部分を実感できるのも、
確かなんです。

(あくまで主観ですけども、ね)



ということは…


その先は、敢えて書きませんけども、

そういうことだと思います。


ここが、考えどころだ。




(*1)
具体例を挙げるならば、
アンタッチャブルだったもの、
硬く蓋をされていたもの、
そういうものが語られるようになってきた。
表に出てくるようになってきた。

それは問題点でもあるけれど、
少なからず、向かい合えるようになってきたということです。

「それだけのもの」には、なってきているということです。


[サイト内タグ未指定]



ブログランキング・にほんブログ村へ
BlogPeople「人間・哲学/人間考察」
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

これだけ捻じれると、
(参議院で野党過半数獲得、衆議院で与党2/3以上保持)
いやでも「動き」ってもんが出るでしょうね。

ただ、何が起こるかは、実際に始まってみないと分からないので、
その時に、如何にフェアな目で見るか、
ってことになるんでしょう。

有権者としては、今はただ待つのみか…


まあ、「お灸をすえる」という意識が出たのは、
間違いないように思います。





さて、テレビと同じことを言っても仕方ないので、
ひとりのブロガーとして私見をば…


人間、「ゆるむ」とよくないようですね。

そうすると、あの、
中川幹事長による、閣議前の私語や、首相に対する礼節のなさ、への批判(というか注意?)というのは、
象徴的だったのかもしれない。

小学生じゃないんだから。

そういうのが度重なる不祥事や舌禍事件にも、
少なからずつながったのかもしれません。


社会保険庁の件にしても、
――これは自治労のあり方も深く関わっていると思うのだけれども――
つまるところ、「ゆるみ」が影響しているのだと思う。

危機感や緊張感に欠けていた、結果でしょう。



日本人には、なんというか、
日本という<お母ちゃん>に依存する体質があるように思います。


社会保険庁にしても、組合という<お母ちゃん>が、
組合員をいつも守ってくれて、それも行き過ぎると、過保護になって、
甘やかしにまでなってしまう。

緊張感や危機感がなければ、どんな人間でもゆるむのは当然で、
結果、一般社会ではありえないような不祥事も出てくる。


閣僚にしたって、今まで散々、政権に守られ、
今回は「絶対に守り抜く」という首相の信念の下、

それが、恩義を感じてしっかりやり直す、とはいかずに、
「甘える」方にいってしまったのかもしれない。



何だかんだいったって、
日本という母性社会にあって、

政権与党に求められるのは、
父性の行使なのかもしれません。


社会保険庁の件にしたって、
「イカンもんはイカン」「しっかりせい」
と、早い段階で叱らねばならなかった。

閣僚に対する不祥事に対しても、そうです。


しかし、そういう父性が求められる中で、
後者では、
「何が何でも守る」という逆のことが行なわれてしまった。

前者にしても、
今どきのお父さんよろしく、
「うすうす気づきながら、放置する」
「関わらない」
ということになってしまった。


それに対する、有権者の選択が、
今回の選挙結果にも、出たのかもしれません。

(全部が、とはいわないものの…)



しかし、これをもって、政治家なり与党なりを一方的に批判できるかというと、
そうでもないように思います。

我々も、そう違わないからです。


国民の声とやらを、よく聞いていると分かります。

あれをしてくれない、
これをしてくれない、

あれしてほしい、
これしてほしい、

まるで、日本という<お母ちゃん>に依存する、子供のようです。


更に、家族の中の父性にしろ、
何らかの役割としての父性にしろ、
(↑会社や、何らかの集まり、先生だってそう)

我々の身のまわりに、
「しっかり叱る」という存在は、
そうそうありませんものね。

それが問題化してるでしょ。

(といっても、「叱ればいい」というものでもないですけど…)



そういう意味で、政治の世界も、
「社会の縮図」といえるのかもしれません。

(鏡でもあるのかな?)


そして、大事なことは、

それを踏まえて、どうするか?

ってところでしょう。


私は、政治家も変わらないといけない、
国民ひとり一人も変わらないといけない、

そう思います。

(そして、ゆっくりながら、少しずつ変わってきている、とも思います)



いろいろ出てくる社会問題にしても、
どうも、システムのせいにしてしまう傾向がありますが、

私は要は、人間の質の問題、だと思うんですよね。
(全部とはいいませんけどね)

どんなにいいシステムがあっても、
それを使う人間、その中にいる人間が、
ズルかったら、ズルをするし、
考えが甘かったら、見落としをするんです。

そりゃ、
出来るだけズルさせないように、
出来るだけミスしないように、
(ホントのこというと、それをカバーできるように)
そういうシステム作りは求められますよ。

でも、それにしたって、限界があると思います。

また、逆にいえば、
そこそこのシステムさえあれば、
それを使う人間、その中にいる人間が、
ある程度、成熟していれば、
それなりにうまく回ると思うんです。


そういうわけで、
これからの時代、問題となるのは、

「人間の質」の問題になると思うんです。



ああ、まだ脱線してしまった…


[サイト内タグ未指定]



ブログランキング・にほんブログ村へ
BlogPeople「人間・哲学/人間考察」
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

責任論が語られるようになって、
それはそれでいいとは思うけれど、

なんというか、

それが怒りの捌け口になったりとか、
手短な犯人探しの道具になったりとか、

そうなると、どうもね…


で、そうならないためにも、
フェアな目、というのは必要になるのだと思います。





「選択」には「結果」がつきもので、
「結果」というのは、
「選択」した時には思いもしなかったことが起こるのも、しばしば…


今回の選挙でいえば、
そもそも安倍さんを首相にしようと選択したのは誰か?
ってこと。

御輿を担いだはいいが、
そこに打算や思惑があったりして、

しかも、「コイツは多少のことがあっても大丈夫だ」とばかりに、ゆるみ、

礼節もない、
緊張感もない、

苦言を呈するでもない、
ピンチに助けるでもない、
陰口は言う、

ポストは欲しい、
ポストとはいかないまでも、おこぼれには与り(あずかり)たい、


と、そりゃないよね。

(しかし、これも「社会の縮図」だ)
(どこの会社、どこの集まり、でもありそう…)


で、傍観しといて、悪い結果が出たら、責任論…

そりゃないよね。


御輿担いだのは誰で、
選択したのは誰だって話…





そして、
我々有権者も、未来に対して、ある程度、
責任を負わなければいけない。


選挙というのは「選択」であって、
それで「結果」が出る。

しかも、選挙結果が出たらからそれで終わりではない。

それによって生じる「結果」は、むしろ、これからでしょう。

しかも、何が起こるか分からない。

上でも書いたように、
「選択」した時には思いもしなかったことが起こるのも、しばしば…
ということになる。


でも、それは、
選択の結果生じたことであって、
それを忘れてはいけない。

でないと、
また責任云々で、犯人探しや磔(はりつけ)が行なわれて、
しかも、全体としてはさほど変わらない、
なんてことになる。

(コイツは不毛だ)





前にも書きましたが、
責任というのは、

誰が何をして、
何が起こったか、

誰が何をしなくて、
何が起こったか、

そういうものであって、

そこには何らかの「選択」があるのだと思います。


○○をするという選択、
○○をしないという選択。

○○を選ぶという選択、
○○を選ばないという選択。

そして、
選択には結果が伴ない、
結果に対して、それなりの責任が生じる。

そういうことなんでしょう。


我々日本人は特に、
<全体の中>という意識が強いので、
(↑それはむしろ無意識かもしれないけれど)
常に何らかの選択しているのだという意識、自覚に欠ける面があるのだと思います。


(これは自戒の念を込めて言うのですが)
だから、やたら嘆いたり、
やたら他人のせいにしたりしてしまう。





で、はじめの言葉に戻るんですが、

責任論について語られるようになったのは喜ばしいことだけれども、
それが他人事になってしまったのでは、価値が低いし、
きっと、何も変わらない。

(「何も」は言い過ぎかもしれませんが、「大きくは」変わらない)


我々はいつも、多かれ少なかれ、選択しています。

○○しないとか、
決めることを放棄するとか、
誰それに従うとか、

それさえも選択なのです。

目を閉じ、耳を塞ぐのだって、
選択です。
(↑私はこういうことをよくしましたけども…)


些細な選択もあり、
些細じゃない選択もあり、

それによって、何らかの結果が生じるのです。

些細な結果も、
些細じゃない結果も、

選択によって、生じています。


それが前提。


それを見落とすと、
責任なんて取れないし、

変われっこないですよ。

人のせいにするばかりで、何も変わらない。
(私がそうでした)


生きて楽しいってのは、
――その一部ではあるけれど――
自分の選択を自覚することだと思う。

そうすれば、多少悪い結果が出ても、
そうそう辛くはならない。

選択→結果 には責任が生じるし、
思い通りにならないこともしばしばだけど、
そうそう悪いものではない、

そう思います。


まんざら悪くないですよ。
だいたい、「全部いいこと」なんてないですからね。

ある程度しっかり受け止めると、
それ(目の前で起こっていること)は自然で、ある程度、当たり前だということが分かってくる。

(「ある程度」ってのがミソで、「ある程度」でいいのだと思います)


目の前のものを見ないから苦しいし、ややこしい。
私がそうでした。

で、目の前のものを見たら見たで、
苦しいし、ややこしいんですが、

実は、そんなに悪くないですよ。

むしろ、面白い。


今となって、そう思います。


(脱線してこういうところに行き着くのも、私らしくていいと思う…)




【蛇足】

記事とは直接関係ないけども、
今回の選挙結果を受けて、
一部の官僚(霞ヶ関)がほくそえんでるかと思うと、
ムカつきます。

まあ、それも選択と結果か…


[サイト内タグ未指定]



ブログランキング・にほんブログ村へ
BlogPeople「人間・哲学/人間考察」
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

前の投稿から1ヶ月ほど経ちましたが、
その間何をしていたかというと、

正直なところ、

主に、呆れていたのであります。

もっというと、失望もしていました。





例えば、朝青龍問題、
この問題に対する、マスコミの対応は、
異様だと思います。

そして、それに乗っかってしまう世間もまた、異様だと思うのです。



朝青龍自身の問題については、多くの人が語っている内容に、
そうそう異論はありません。

歴代横綱は、横綱として、いろんな「制限」があったと、過去聞いていますが、(*1)
朝青龍が、その制限をちゃんと理解しているとは思えないし、
実際、守られていないと思う。
(そういう意味で、品位に欠ける)
(もっとも、違う文化で育ったのだから、それは無理もないのかもしれません)
(明確に指示されていないことを悟れというのは、外国人には難しいでしょう。いや、最早、日本人にも難しいか――ともかく)


例の「サッカー」の件にしても、
腰痛持ちの私であってみれば、
非常に複雑な思いです。

(腰痛というのは、特に治療を要するほどの時は、腰を捻ってヘディングするどころか、歩くのにも難儀するし、クシャミの度にのた打ち回ったりもするのです)


しかし、しかし、

だからといって、今のこの状況は、異常だと思う。

異常とはつまり、

精神的にまいっているとされる人間を、連日追い回し、

朝の情報番組、
そのあとのワイドショー、
お昼前のニュース、
お昼のニュース、ワイドショー、
午後のワイドショー、
夕方のニュース、
夜のニュース、

バラエティー番組、

その他もろもろで、


あそこに行った、
あそこに行かなかった、

ああするらしい、
こうするらしい、

あの人はこう言った、
あの人はこう言わなかった、

あの人の意見はこうだ、
この人の意見はこうだ、

どうもそうらしい、
どうもそうではないらしい、


そんな調子で、
連日連夜、報道されるのです。


(正直な話、軽薄なアナウンサーあがりの司会者やなんかが、似合いもしない難しい顔をして「いや~困りましたね~」とか言っているのを見ると、そのだんだん広くなっていく額に、墨汁で「阿呆」と書いてやりたい衝動に駆られたりもするのです)(*2)



私は正直、こういうマスコミの姿勢、
それにのっかる、世間の姿勢が怖い。

いや、本当に、まったくもって、怖い。


考えてもみてください、
今まで何の問題もなく―― 少なくとも、身近な人間には何の問題もないとされ ――ちやほやされていた人間が、
ある日を境に、
一斉に、世間から非難されるんですぜ。


テレビをつければ、自分が映っていて、

ああでもない、こうでもない、
ここが悪い、あそこが悪い、

知っている人間から知らない人間まで、
何やかんやコメントしていて、
しかも、おおむね非難の論調である。

昨日まで問題なく、
むしろ褒められ、快く思われていたのが、
(↑少なくとも、本人はそう思っていたのが)
まるで世界が変わったように非難されている。

日本中の人間が自分のことを知っていて、
その多くが怒っているらしい。

自分のことを悪いと言う。

それが毎日毎日、朝から晩まで、延々放送されている。


え?


それで病気にならない人間って、いるんですか?

多少なりとも、まともな神経を持った人間なら、
とてつもなく憔悴するだろうし、
精神的にまいってしまうでしょう。

そうでない人間がいるなら、見てみたいもんだ。


朝青龍に対する、専門家の診断とやらの妥当性について、
私は語る資格もないし、
またあれこれ言う気もないですが、

それはともかく、

今のような状況にあって、病気にならないほうがおかしいと、
私は思いますがね。



で、その、おそらく憔悴しきっているであろう人間に対し、
「報道の自由」か「知る権利」か、
「世間の代弁者」としての使命感か、
マスコミに勤める「一会社員の義務」か、

あるいは、「低俗な出歯亀根性」かしらんが、

大挙をなして、カメラとマイクで追い掛け回すんだから、

これはもう、異常としか言いようがない。



異常も異常、異常の王様だ。



そう、私は思いますがね。




「その二」に続く…)




ひとつ断っておくと、

朝青龍の今までの態度に対し怒るのは、何ら問題ないと思います。
妥当だと思う。

会見を開いてほしいとの、要望もあるでしょう。


でもね、

ものにはタイミングってもんがある。

それをもう少し考えるべきだと思います。




(*1)

抽象的な言い方になりますが、つまり、
「横綱は横綱らしい相撲を取らなければならない」
というのがあって、

それは明確に記載されているわけではないけれども、
例えば、「張り手」などは使うべきではないとか、
奇襲戦法みたいなのは以ての外とか、

「ただ勝つのではなく、横綱として勝たねばならない」

そういった不文律があったように思います。

(といっても、私は素人なので、勘違いかもしれません。間違っていたらスミマセン)




(*2)

そんな中で、
朝のワイドショーのO氏が、
「連日報道すべきなのかね~」とか、
「邪魔にならないように取材しなさいよ」とか、
そういう風なことを言っているのを聞いたり、

(これはチラッと見ただけなので勘違いかもしれませんが)
午後のワイドショーの、ある司会者が、
出来るだけ余計なことを言わぬようにと、
そういう配慮をうかがわせる姿勢をとっているのを、チラッとでも見ると、

少なからず救われたような気にもなるのです。


[サイト内タグ未指定]



ブログランキング・にほんブログ村へ
BlogPeople「人間・哲学/人間考察」
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

「その一」からの続き…)

だいたい、朝青龍のことにしても、

ご多分に漏れず、「世間の縮図」なんだから、仕方ない。

何ら、特別なことではないと、
私は思っています。





言うなれば、朝青龍は「増長した子供」なのであって、
それを放置した親方は、文字通り、「その子の親」。

それも、世間に数多(あまた)いる、
叱ることもできず、
子供とどう向き合ってよいか分からない、
親なのです。

(注:私の主観です)


ですから、その「親」たる、親方の責任が問われるのは、
ある程度―― 本当にある程度 ――は分かりますが、

まったく全部を引っ被らねばならないのかというと、
そうではないだろうし、

だいたい、
彼を増長させたのは、親方一人ではありますまい。


そもそも、彼を横綱にしたのは、横綱審議委員会であり、
それが今になって、
「朝青龍が悪い」「親方が悪い」と、
怒りが噴出してしまうんだから、

それって、どうなんでしょうか?


私のような、いつまでもコドモである人間からすれば、
この老人たちを指差して、
「横綱にしたのはアンタたちじゃないか!」
そう言ってやりたい気持ちにもなるのです。


そして、
「朝青龍が悪い」「親方が悪い」「相撲協会・横綱審議委員会が悪い」と、
難しい顔で―― 時には、小馬鹿にしながら ――意見するテレビ出演者に対し、

「その横綱を褒めちぎり、ほうほうと持ち上げ、接待だか何だか分からんような番組を作ってたのは、アンタたち、テレビの人間じゃないか!」
「その恩恵に与ってたのは、誰?」

と、そういう風に、

例のあの、

「裸の王様」の少年のように、

言ってやりたくもなるのです。



「世間の縮図」と言いましたが、

「悪さをした子供」というのは、
(子供といっても、その年齢においては、子供かどうか分かりませんが)

だいたいにおいて、

「どうして、僕が悪いの?」
「私が何をしたというの?」

そう思ってしまうものだと、思います。


即ち、

何らかの悪いこと―― というと、広すぎますが、例えば ――
その場にそぐわぬこととか、
そうすべきではないこととか、
他人(ひと)に迷惑のかかることとか、
何らかのルール違反とか、
(↑特に日本においては、明確に文書化されていないようなルールが多いですが)

そういうことを連発していたにも拘らず、
誰に注意されることもなく、
諭されることもなく、
過ごしてきたのであって、

したがって、それが悪いとは露ほどにも思わず、
思えるはずもなく、

それが急に、堰(せき)を切ったように、一斉に責められてしまうんだから、
混乱して当たり前、

驚くし、
悲しくもなるし、

どうしてよいかも分からず、

憔悴して当たり前でしょう。


今まで放置・放任されていたものが、
急に世界の悪党みたいに責められるんだから、

何が悪いかなんて、理解できるはずもないし、
受け容れられるはずもない。

ただ、狼狽し、
やがて憔悴するのみでしょう。


病気にだってなるさ。



で、もう一度言いますが、
これは何も特別なこっちゃない。

そこいらにある、
いわば、
「よくあること」
でしょう。

(まあ、その影響力において、同じではありませんけど…)



そして、こういうことの「根っこ」は、いろいろあると思いますが、

まず、
「本来、注意したり諭したりするはずの人間が不在である」
そういうことが、挙げられましょうか。

そして、これまた、こういうのは特別なことではないことが分かる。

お父さん、お母さん、
おじいちゃん、おばあちゃん、
先生、
(場合によっては、先輩なり、上司だって、そう)

いや、多くの大人ってやつが、この役割を果たせているかどうか、
あやしいでしょ?


だから、こういうのは何も特別なことではないし、
簡単に責められたもんでもないです。

だいたいにおいて、難しいんですよ、

その役割を果たすのは。

そうじゃありません?



例の親方にしたって、テレビを見る限り、
あっぷあっぷで、どうしていいか分からなさそうな状態です。

メンタルな面の知識もそうそうないでしょうから、
言ってはならんようなことも、連発していたように思います。

トンチンカンなことだって、しているでしょう。


でもね、

実は「みんな」そう変わらんのですよ。


同じような境遇に置かれた「親」というのは、
―― この場合の「親」は、単なる血縁ではなくて、場合によっては、「先生」だったり「上司」だったり「指導者」だったりもしますが ――

同じようなもんだと思います。


だから、だ・か・ら、

誰も安易には、責められんのです。


我々だって、

それが「子供」(朝青龍)の立場であっても、
それが「親」(親方)の立場であっても、

その立場に置かれれば、

似たようなことになるんだから…




「その三」に続く…)



悲しいかな、

よくあることなんだ…


[サイト内タグ未指定]



ブログランキング・にほんブログ村へ
BlogPeople「人間・哲学/人間考察」
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ


■ 最近のエントリ

■ 人気ページランキング





BACK  // HOME // NEXT
Powered By FC2ブログ.
copyright © 2005 枕石漱流 日記(ユング心理学の視点から) all rights reserved.
ブログパーツ アクセスランキング
■ Amazon
■ 注目記事
■ アーカイブ
■ カテゴリ

■ 月別アーカイブ

■ 検索ぷらす


【注意】 ENTERキーだとうまく表示されないようです。申し訳ございませんが、ボタンを押してください。

■ キーワードハイライト機能

検索時、検索語句がハイライトされます。

■ BlogPeople リンクリスト

リンク集と更新状況↓



☆登録する by BlogPeople☆

■ RSSリーダーに登録

 RSSリーダーで購読する

 メールで購読する


(リンク切れを修正しました)


■ 最近のトラックバック
■ スポンサードリンク

■  
■ スポンサードリンク



■ 最近の記事
■ カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

■ FC2カウンター



現在の閲覧者数:

■ プロフィール

南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


日記について


拍手する

プロフ
電脳露店マイアソシエイトストア
おバカ映画

■ リンク
■ RSSフィード
■ インフォメーション


検索サイトiscle
(検索サイトさんです)

■ QRコード

QRコード

携帯でも御覧になれます。

■ 地域情報



ジオターゲティング





■ にほんブログ村

■