ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
前回からの続き…)

夢の捉え方はいろいろあると思いますが、
そのひとつに、自然(自然現象)としての捉え方があると思います。

それは、人間(意識)にはどうすることもできず、
ただただ、それを体験するだけです。



それは、例えるなら、目の前の川の様子。
それは元来、自然発生的にそうなったのであって、
人間がどうこうしたものではありません。
(まあ、基本的に、です)

時に、人間が手を加えることもありますが、その根本と細部は、自然です。
自然のものです。

それは時に穏やかで、時に荒れ狂うこともあり、
それに接する我々人間は、時に楽しみ、時に戯れ、
また、時に怖れたり、避難したりもします。
(決壊を防ごうとすることもあるでしょうか)

それは人間の都合を考えたものではなく、そうなるもの、そうなったもの。
まさに、自然ですね。

こちらの都合でコントロールできぬもの。
人はそれに接するのみ。
(海となると、更にその傾向は強いでしょうか)

触ることも感じることも出来るけれど、それは人の主観。
相手(自然)はゆるがない。


夢や心の現象は、まさに、このようなものであり、
我々の内部にある、ひとつの自然であり、ひとつの現実です。

心の中の自然、自然という現実、
また、心の中の自然を伝えてくれるもの、なんでしょう。

(川を考えると、運んでくるもの、ともとれますね)
(あと、時に与えてくれるものであり、時に奪うものであり、とか)



但し、夢の表現は直接的ではなく、象徴に彩られています。
だから、なかなか理解しづらい。

夢の中の現象は、
無意識の領域にあるものを、ストレートには伝えてくれません。
いや、ストレートに伝えているんだろうけども、
人間にはそれを把握することができません。

というのは、
「あちらの世界」にある「そのもの」は、「こちらの世界」には無いわけで、
その、無い「そのもの」を「こちらの世界」で表現することはできないし、
我々もそれを把握することはできません。

無いものを、「これ」って指差すわけにもいきませんからね。(*1

だから、象徴という手段が要るわけです。

で、意識と無意識の境界での体験とも考えられる、夢の世界では、
そういう象徴に関するものがたくさん出て来るわけですね。

(象徴については、後ほど触れると思いますが…)



というわけで、夢の中の体験というものは、
自我が把握した「夢の体験そのもの」が現実世界で生じるというわけではなくて、
しかし、象徴という意味では、現実世界で生じているという、ややこしいことになっているわけです。

例えば、
「車でものすごいスピードで突っ走っていた」というような夢を見たとしても、
(外的)現実世界では、その人は免許も無くて、運転なんかしたこともないかもしれません。
しかし、その人は人生の一部において、「ものすごい勢いて突っ走っている」ということは、あったりします。

あるいは、「ブレーキが壊れる」夢を見たとして、
じゃあ、(外的)現実の世界でそうなるかというと、そうとは限らない。
しかし、人生のある部分においては、「ブレーキが壊れたような」とか「歯止めが利かない」とか、そういう状態かもしれないわけです。

夢の体験「そのもの」は経験してなくても、「それによく似たこと」は経験してたりするんですね。
「そのもの」ではないが、「そのような状態」は経験してたりするわけです。

しかも、そういうことは案外、無意識であったりして、自覚は薄く、
夢を誰かに語っている間に、それに気づいたりするんですね。

そういうわけで、
夢をそのまま現実に当てはめることはできないんですが、
夢が(外的)現実にまったく関係ないかというと、そうでもないんですね。
(そのままはそのままなんだけれども、細部がそのままというよりは、取り巻く状況がそのまま、みたいな…)

ここに、象徴の意味があるわけです。



そして、こういうことを考えていると、
夢を、単なる偶然の産物とはいえなくなってくるんですね。

そこに、意味のようなものが見えてくるわけです。





「共通言語としての象徴①」に続く…)





(*1
きっと、完全に未知なるものに出会ったとき、
我々はそれを意識することはできないんでしょう。

意識できたとしても、「!」というような、
言葉にできないものになるんではないでしょうか。





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「人間と象徴の目次」




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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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