ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
西洋人(あるいは、西洋的思考の人=合理的な思考を好む人)は、
「あちらの世界」と「こちらの世界」を明確に分けることを好むかもしれません。

そして時に、あちらの世界の存在を無視し、無価値なものと判断するかもしれません。


東洋人(あるいは、東洋的思考の人)は、
「あちらの世界」と「こちらの世界」を明確に分けることはせず、むしろ同等に扱うかもしれません。

そして時に、それらを同等に扱いすぎ、「あちら」と「こちら」を混同したり、同一視してしまい、それで混乱したり、迷ってしまうこともあるかもしれません。


といっても、必ずしも、西洋人だからそう、東洋人だからそうというわけではなく、
こういうのは、人それぞれの価値観、受け取り方、つまるところ、生き方の問題ですよね。
(また、西洋人、東洋人という、紋切り型の分け方は、最早あまり通用しないかもしれません)

「あちらの世界」と「こちらの世界」をどう考え、どう受け取るかは、
その文化や社会背景の影響は受けるものの、
結局は、その人その人の受け取り方なんでしょう。

(また、同じ個人であっても、人生のその時その時で、どちらかに強く傾倒することもあるでしょう)



「こちらの世界」とは、意識の世界、いわゆる現実世界のことです。
目の前にある、我々が普段、意識している世界です。

常に、触れられる世界。

自我を中心とし、私を私と感じられる世界。
多くのものを意識し得る世界。

見て、聞いて、触って、
更にそれを、みなと共有できる世界。



「あちらの世界」とは、無意識の世界、心の中とか、イメージの世界です。

なかなか触れることのできない世界。
仮に触れているとしても、なかなか意識できない世界。

直接は見えず、直接は聞こえず、直接は触れられず、
故に、それをみなで共有することは難しい世界。

我々が触れられるのは、例えば、イメージ。
「そのもの」ではなく、そのものに関係するイメージ。

それは個人の心の中の体験なので、
――まったく、できないというわけではないですが――
なかなか体験を共有することはできません。



意識的な世界に重きを置く時、
「こちらの世界」こそ現実であって、「あちらの世界」なんて非現実的だ、
などと言われることもあるかもしれませんが、私はそうは思いません。

例えば、我々は折に触れて、嬉しくなったり、悲しくなったりします。

それを言葉に出したり、表情に出したり、そういう風にみなで共有できるものとして表出された時、それは「こちらの世界のもの」ということになりますが、
それは表現されたから、そうなったのであって、
もともとは、人間の奥の方にある、「あちらの世界のもの」ということにもなるでしょう。

それを言葉にしたり、表情に出さない限りは、
みなの知らない、私だけのもの、
私の心の世界だけにあるもの、となります。

それは「こちらの世界」に出てないという意味では、「あちらの世界のもの」です。

ただ、正確にいうと、
私はそれを意識しているので、私にとっては「こちらの世界のもの」であり、
それを意識することのない第三者にとっては、「あちらの世界のもの」ということになるでしょうか。

ただ、そういう感情的なものにしても、
もともとは意識に上る前段階があるので、「あちらの世界から来たもの」となるでしょう。

それは「こちらの世界」の何らかの現象によって引き起こされるにしても、
その波紋は、心の奥の方、無意識の領域から来るのだから、
「あちらの世界」から来たものですよね。

こういう風に、「あちらの世界のもの」と「こちらの世界のもの」は、密接に絡み合っていたりします。
非現実だと、ぶった切れるものではないのです。



目に見えないもの、触れられないものが嫌いな人でも、
自分の感情というものは体験しているわけでしょう。

そして時に、非常に非合理な感情に触れることもあるわけで、
「A → B」、「○○だから××」といった説明ができない、
そういった不可解な心の動きに触れることもあると思います。

それこそが、「あちらの世界との接触」であって、
それはウソでもなんでもなく、
その人しか知りえない個人的な経験であり、内的に体験した現実です。

(それをウソだと否定したくなる時もありますが、生じたものを無いということこそウソであって、目に見えないとはいえ、そこにある以上、現実でしょう)





「あちらの世界とこちらの世界②」に続く…)





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「人間と象徴の目次」




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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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