ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
NHK総合の大河ドラマ

「八重の桜」のレビュー(あらすじ)と感想。

第7話「将軍の首」


<強い力を持つ者は、初めは称えられ、次に怖れられ、末は憎しみの的になる>


京都守護職を拝命し、松平容保率いる会津藩士が京へ上洛。

言路洞開を掲げる容保でしたが、足利三代木像梟首事件が流れを変えてしまいます。



八重の桜 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)



文久二年 閏(うるう)八月二十日。越後浪士・本間精一郎、暗殺。京では、天誅の嵐が吹き荒れていました。同月二十二日には、九条家家臣・宇郷玄蕃頭が暗殺された。浪士が、公家の家臣が、目明しが、町奉行所の与力までもが斬り殺される事態に。

都の治安は、悪化していくばかりでした。

初めての上洛が間近に迫る会津藩士たちは、出立前のひと時を家族と過ごしています。覚馬(西島秀俊)、八重(綾瀬はるか)、尚之助(長谷川博己)、三郎(工藤阿須加)も、湯本村の温泉に向かう。その途中で、神保修理(斎藤工)と雪(芦名星)夫妻に出会いました。

東山温泉に浸かりながら、覚馬と尚之助は語らいます。上洛前に何とか尚之助の仕官話をまとめようとした覚馬でしたが、それは叶わなかったらしい。でも、尚之助は、今のままでも銃の改造はできるから、構わないという。

覚馬は、背炙山(せあぶりやま)に反射炉を造ることを考えていると話した。大砲を鋳造するためです。緊急時には、寺の鐘を鋳潰(いつぶ)して、大砲を造ればいい。何かあった時には、それを俺に代わって進言するようにと、尚之助に託します。

「留守を頼む。蘭学所のこと、家のこと、それから会津のこと」。覚馬がそう言うと、家を託すなら私よりふさわしい人がいると、尚之助は返した。そして、ふたりして笑いました。

その夜、八重は言いました。「兄様(あんつぁま)、御留守の間、家は私が守りやす」。三郎も、負けじと言う。「俺も、守りやす」。尚さんの言った通りだなあと、覚馬は思った。

「兄様が戻られるまで、嫁には行がねえ」と、八重は言う。それでは行き遅れると言われても、「さすけねえ。まだ話も来てねえし」と返した。


うら(長谷川京子)は遅くまで機(はた)を織っている。出立前に、新しい着物を こさえるつもりです。権八(松重豊)は耳かきを作っているし、佐久(風吹ジュン)は足袋をこさえています。みんな、覚馬のために何かしてやりたいと思った。



出立の日が来ました。二葉(市川実日子)や雪は、それぞれの夫を見送ります。山本家も総出で、覚馬を見送る。うらの手には、朱色の櫛が握られていました。覚馬が土産に買ってくれたものです。

どうか御無事で。誰もが愛する人のために、祈りました。



京に上る藩士たちは、一度、江戸藩邸に集められた。松平容保(綾野剛)より、言葉を承ります。

「皆も承知と思うが、今は朝廷と御公儀が手を携え、一体となって進んでいかねばならぬ時である」「それにはまず、都が平安でなければならぬ」「京都守護職は重い御役目だが、それを果たすことができるのは、会津をおいて他にない」

「この上は、御先祖代々の名を辱めぬよう、一心に勤める覚悟じゃ」「君臣 心をひとつにし、都を御守り致そうぞ」「よろしく頼み入る」




文久二年(1862年)十二月二十四日。容保は千名の会津藩士と共に三条大橋を渡り、京都守護職として、都に入りました。きれいなお殿様やぁと、町民が漏らす声が聞こえる。

京都守護職の本陣は、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に置かれました。容保は到着当日に、関白の屋敷を訪ねた。

関白・近衛忠煕(このえ ただひろ:若松武史)は、容保に言った。「京雀(きょうすずめ)っちゅうもんは、ほんまに口さがないもんやで」(うわさ好きの京都の者は、あれこれ無責任に批評するのが好きだ)。「ほやけど、会津の御行列は絵巻物のようやと、たいそうな評判や」


今 都で力を持っているのは、薩摩に長州、それに土佐。このそれぞれに、肩入れする公家がついている。そのつながりは金だと、秋月悌次郎(北村有起哉)が教えてくれました。

薩摩と結びついているのが関白の近衛忠煕で、長州と関係が深いのが国事御用係の三条実美(さんじょう さねとみ:篠井英介)です。



文久三年(1863年)の正月。正月を祝いながらも、八重ら家族は、覚馬の身を案じます。

容保は、新年の御祝賀で初めて、御所に参内しました。そこで、異例の待遇を受けることに。江戸時代の朝廷には、議奏(ぎそう)という職が置かれていました。これは、天皇の口勅を伝える役割。通常、天皇の姿を直接見ることも、声を聞くことも、一部の者にしか許されてはいませんでした。

が、孝明天皇(市川染五郎)はいたく容保のことを気に入り、直接 御言葉と御衣(おんぞ)を授けて下さったのです。武士が帝より御衣を賜るのは、江戸幕府が開かれてから初めてのことでした。

これに容保は感激し、会津藩士たちも、大いに意気を揚げました。

容保は決意した。「都をこれ以上 血で汚すは、恐れ多い。穏やかに事を収める道を、探らねばならぬ」と。



間もなくして、将軍後見職の一橋慶喜(小泉孝太郎)と政事総裁職の松平春嶽(村上弘明)が京に到着しました。慶喜と春嶽に、容保は、言路洞開(げんろどうかい)を主張。言路とは、上の者に対して家臣が意見を述べるための道のこと。洞開とは、開け放たれていること。つまり、上の者に対して意見する道を開きましょうというのです。

浪士たちの話をよく聞き、その上で、誠を尽くして説き聞かせる。それが容保が思い描く方策でした。既に本陣を訪れる浪士たちの話を聞いているという。

その手はあると春嶽は膝を打ちましたが、慶喜は手ぬるいと反発。協力を拒否した。やるなら勝手にやれというわけです。



一橋様は確かに弁が立ち御知恵もあるが、どうにも信用がおけない。それが秋月の評価でした。意見が通らないとなると、作病を構えて閉じこもる。辞める辞めると、周囲を脅しているのだという。

しかし、梶原平馬(池内博之)は、慶喜に一定の理解を示しました。融和政策だけでうまくいくとは、とても思えません。浪士たちの後ろには、薩摩や長州、土佐がついているのです。

そして、「誠を尽くして動かぬものはない」というのが、覚馬の意見でした。「百の策略より、一の誠が人を動かすこともありやす」。浪士や攘夷派諸藩の中にも、人材はきっといると。



佐久のおかげで会津城下で種痘を受ける人が増えたと、古川春英(小市慢太郎)は喜びました。亡くなった敏姫様をいたわしく思い、佐久は周囲の者に種痘を勧めたのです。

二葉の出立も近づきます。夫・平馬からの文によると、京では人心も和らいで騒ぎも鎮まって来たとある。それを聞いて、八重もほっと息をつくのでした。



文久三年(1863年)二月二十三日。とんでもない事件が起こりました。北山等持院にある足利将軍三代の像から首が引き抜かれ、晒しものとなっていたのです(足利三代木像梟首事件 梟首:きょうしゅ、斬首した首を木にかけてさらすこと)。捨て札には、足利将軍は朝廷を軽んじた逆臣と書いてある。どうやら、徳川家への当てつけらしい。

犯人は、すぐに判明しました。会津藩の密偵・大庭恭平(山中崇)が、一味に潜入していたのです。が、それだけではありませんでした。何と、大庭もこの事件に関与していたのです。攘夷を実行しない将軍はやがて首を討つという脅しでした。

切腹を願う大庭でしたが、その声はもう、容保には届いていませんでした。

容保は宙を見ながら、「狂っている」と漏らした。「尊皇攘夷とは、何だ? それではまるで、幕府を倒す口実ではないか」。尊皇攘夷はもはや表看板にすぎず、真の狙いは討幕ではないかと、修理も推測する。

この事件で、容保の心は変わった。「ならば、言路洞開など、何の役にも立たぬ! わしが…愚かであった」

この事件をきっかけに、取り締まり強化と厳罰へと、舵が切られることになりました。



山川大蔵(玉山鉄二)も夏の勤番交代で、京に上ることになった。八重に何か話したそうでしたが、尚之助が来たために、大蔵は何も言えなかった。

尚之助は、会津の武力が仇にならねばいいのですがと心配します。「強い力を持つ者は、初めは称えられ、次に怖れられ、末は憎しみの的になる」。覚馬も、それを怖れていたのだという。

でも、八重には納得できません。「憎まれる? 幕府の御指図で朝廷さ、御守りしているのに…」「会津が憎まれるなんて…」





物語 幕末を生きた女101人 (新人物文庫)





【感想】


正義。

人の道にかなって、正しいこと。

人が従うべき、正しい道理。


でもそれは、価値基準や評価基準に過ぎない一面も。


あちらの正義、こちらの正義。

両方に異なる基準があって、

それぞれが信じて疑いません。


そしてそれが触れ合う時、争いが生じる。


争いには、勝ち負けが。

勝者が生まれ、敗者も生まれる。


そして勝者が、正義の杯を受け取る。

その時、敗者は…。





会津藩 不屈の600年史 (歴史探訪シリーズ 10・晋遊舎ムック)





<<「文久の改革と容保の決断│八重の桜(6)」



荒れる京の都。

新撰組も登場する。

会津の手は、血にまみれるのか?


次週、第8回「ままならぬ思い」。



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Author:南方 城太郎
生息地:関西
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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