ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
第5話「松蔭の遺言」


<天朝も、幕府も、藩も、要らん! ただ身一つで立ち上がればよい! 立ち上がれ!>

<至誠にして動かざる者は、未だこれ、あらざるなり!>


安政の大獄が、国に暗い影を落とす。

至誠の人、吉田松陰の運命は?



八重の桜 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)



吉田松陰(小栗旬)は、筆を走らせる。<死は好むべきにあらず。また、憎むべきにあらず>。安政の大獄に関連し、幕府は松陰を江戸送致にした。今は、伝馬町の獄にいます。

松陰のことを心配した川崎尚之助(長谷川博己)は、横浜の勝麟太郎(生瀬勝久)を訪ねました。そこで、尚之助は驚いた。町が一変している。黒船を見に来た時には何もないただの漁村だったのに、今では賑やかな街並みが広がっています。

安政六年(1859年)七月のことでした。黒船とは、街並をも変えてしまうものなのだろうか。では、人は、どのように変わるのだろう?

土産物を買おうとしていた尚之助の前で、攘夷派浪士によって、外国人水夫が斬られた。攘夷とは、外国人を撃ち払って国内に入れないこと。通商条約が締結されたことで、彼らの中には、実力行使に出る者が出はじめていました。さらに大獄による締め付けが、それを加速させる。

幕府は、清を打ち破った外国に脅威を感じ、条約締結に踏み切りました。これは、日本を守るため。そして、攘夷派は、外国が日本に入ってくることに脅威を感じ、排斥しようとする。これも、日本を守るため。

象山先生は言った。日本を守るには、外国のことをよく知らねばならない。外国の技術力が脅威なのなら、なおのことを、それに精通せねばなりません。

外国に脅威を感じる、日本を守りたい。その気持ちは同じでも、しようとすることは違ってくる。そして、なぜ違うのかと怒り、日本を想う者同士が、敵対してしまった。


松陰は獄中から、同志たちに向けて、熱く激しい言葉を書き続けていました。囚われの身でも、できる限りのことをする。日本という船に乗る一員だという意識が、そうさせます。

日本という国のために、みなが力を尽くそうとする。



庭で うら(長谷川京子)が、植えた野菜に話しかけていました。「すくすく伸びて、偉えなあ。きれいな色の実がなった」。それを八重(綾瀬はるか)に見られ、ばつの悪そうな顔をする。

でも、それ以来、八重はいっそう、うらのことが好きになりました。ふたりの距離も、縮まったように見えます。豆に、大根に、土にまで、うらは感謝する。「おいしい物を育ててくれで、ありがとなっし」

そして、うれしい報せが、もたらされました。うらが懐妊したのです。八重は顔をクシャクシャにして、喜んだ。



尚之助が帰って来ました。コウモリ傘など、めずらしい土産を、たくさん買ってくれています。で、肝心の松陰のことですが、評定所の御詮議が始ったとのことでした。

松陰は安政の大獄を未然に防ごうと、老中・間部詮勝(まなべ あきかつ)の襲撃を企てていたのです。これを藩の要人に持ちかけましたが、受け入れられなかった。さらに、弟子たちにも反対され、計画はとん挫。

お白州(しらす)で松陰は、梅田雲浜(うめだうんぴん)一党との関わりは完全に否定。しかし、間部詮勝への襲撃計画については、自供しました。それも、驚くほど素直に。

松陰は言った。「脅しに屈した開国は、国土を異国に破られたも同然。こげな折に、国を憂う者を弾圧しちょっては、人心は離反するばかりじゃ!」

松陰が伝えたかったのは、国の危機と、未来に向けた方策でした。が、評定所の者たちには、襲撃のことしか耳に入らなかった。松陰の声は、届かなかったのです。どんなに正しいことも、聞く耳を持たない者には、届かない。

それは、今も同じ…。



その話を、覚馬(西島秀俊)は信じられません。寅次郎さんには、誰よりも世界が見えているはずだ。が、尚之助が聞いたところによると、松陰は条約調印以来、人が変わったように激しく攘夷を唱え、塾生たちにも決起を促していたらしいのです。

と、そこに、覚馬を訪ねて侍が来た。特に気にも留めず対応しようとした覚馬でしたが、いきなり斬りつけられました。さらに隠れていた仲間も、襲撃に加わって来た。蘭学を教えている覚馬を、夷狄(いてき)におもねる奸物だと、断罪しに来たのです。

夫を助けようとした うらでしたが、浪士に払いのけられてしまった。その際、体を打ち付けてしまいます。三郎もコウモリ傘で奮闘。八重は三郎を守ろうとする。尚之助は鉄砲を持ち出し、威嚇した。

襲撃自体は失敗に終わりました。覚馬は無事です。しかし、うらの中にいた新しい命は、生まれることなく消えてしまった。



安政六年十月二十七日。松陰に裁きが下りました。罪状は、蟄居の身で梅田雲浜一派と結託したとのこと。死罪が申し付けられます。

これに松陰は、激しく反発した。といっても、死罪に対してではありません。「僕は、梅田雲浜の一党に与(くみ)したんじゃない! その申し渡し書は、偽りじゃ!」。死ぬのは怖くない。だから、すべてを話した。なのに、ちゃんと聞いてないではないか。

刑は、その日のうちに執行されました。



安政七年(1860年)一月。通商条約の批准書を交わす使節団が、ワシントンへと向かいました。勝海舟は、随行する咸臨丸(かんりんまる)に乗り込んでいた。

船上で、勝は誓います。「パシフィック 2,272里の旅だ。メリケンを見てくるぜ、寅次郎さん」

勝は、覚馬に書状を送っていた。出立まで時間がない中で、それでも松陰について伝えなければと、筆を執ったのです。

<身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし、大和魂>。松陰の辞世の句でした。

斬首の申し渡しが下りたのは、留魂録(りゅうこんろく)という名の遺書を書き終えた翌朝だったという。最後のお白州で、罪状がひどくちっぽけなものに すり替えられていた。激しく抵抗した松陰でしたが、すぐに取り押さえられます。

その際、松陰は言ったのだという。「此度の大事、私一人なりとも死んでみせれば、後に残った者たちが きっと奮い立つ。この国を守るために!」「天朝も、幕府も、藩も、要らん! ただ身一つで立ち上がればよい! 立ち上がれ!」

<草莽崛起(そうもうくっき)>。在野の人々よ、いっせいに立ち上がれ。

「至誠にして動かざる者は、未だこれ、あらざるなり!」。誠を尽くせば、動かせないものなど、何もないのだ。

あまりの迫力に、その場にいた者はみな、気圧されたという。

が、松陰はそれ以上 抗おうとはせず、すべてを受け入れた。罪も、死も、今はまだ変わらぬこの国の実情も、すべてを認めて、旅立ちました。さあ、行こう。そして、あとはよろしく。


過激な攘夷派の姿勢と うらの一件があって、覚馬は松陰の死をうまく呑み込めないでいました。悲しむことができなかった。しかし、この勝からの書状が、すべてを解かしてくれました。流してくれた。

会津に降る雪は、まるで吉田松陰の心のように、真っ白だった。松陰には精一杯の誠があったと、覚馬は悟りました。無謀であろうと、愚かであろうと、ひとりの人間に、それ以上、何ができる…。

<至誠にして動かざる者は 未だこれ あらざるなり>

多くの人々の心に火を灯し、松陰は逝った。



安政七年(1860年)春。重苦しい冬が明けた。

八重が笑顔で駆けてゆきます。尚之助と時尾(貫地谷しほり)が、それに続く。覚馬とうらも来ました。丘に登ると、ちょうど フネとタイ子 笛と太鼓の音が聞こえてきました。会津の彼岸獅子です。これは、小松村の獅子。

「もうちっと、見てみっか?」、そう言って覚馬がうらの手をとった。悲しみを経験したふたりでしたが、絆はいっそう深まったようです。

春の彼岸に練り歩く、会津彼岸獅子。この音色を耳にすると、ああ春が来たんだなあと しみじみ思う。長い冬の終わりと、あたたかい春の報せを、運んでくれます。

向こうで、与七郎(玉山鉄二)も見物に来ています。父親が亡くなり当主となった今は、山川大蔵を名乗っている。山川家は、会津藩家老の家柄。大蔵は 日新館でも指折りの秀才で、その上、腕も立つ。大いに期待されています。

道の反対側からも、会津獅子が来ました。こちらは、天寧(てんねい)獅子。小松獅子と天寧獅子で、喧嘩が始りました。おまえがとけ、いや そっちがどけと、道を譲りません。でも、地元の者は、平気で見物している。彼岸獅子に喧嘩は付き物なのだそう。

と、その時、事件が起こった。ちょうど両者の間に、小さな男の子が割って入る格好になってしまったのです。しかも、言い争っている者たちは、それに気づいていない。

「あぶねえ!」、八重は丘から飛んで、子どもを守りました。それを見て大蔵も気づき、鎮まるように獅子たちに叫んだ。

男の子は無事でした。八重が抱きかかえて守り、大蔵が大人たちを捌(さば)いてくれた。尚之助も来て、子どもに怪我がないか見てくれました。

みなで獅子にまざって踊る。すっかり立派になった姿を見て、八重は、もう与七郎ではねえな、と思うのでした。



安政七年(1860年)三月三日。江戸では、季節外れの大雪が降っていました。

大老・井伊直弼(榎木孝明)を乗せた駕籠(かご)が、江戸城内郭門(うちぐるわもん)のひとつ桜田門に差し掛かろうとしている。と、その前に、駕籠訴(かごそ:駕籠が通過するのを待ち受けての直訴)を申し出る者が現れた。

行列がとまった瞬間、銃声が響きました。同時に、駕籠かきたちは逃げ出した。それは、襲撃の合図でもありました。浪士たちが、駕籠に向かって斬りかかってくる。

駕籠を守る彦根藩士たちでしたが、不利な状況が重なっていました。思いがけない大雪で視界が悪い上、刀には柄袋(つかぶくろ)が被せてある。これで、対応が遅れてしまった。準備して斬りかかった 襲撃側が有利な状況。しかも、足場が悪い。

そして、最初の発砲により、井伊直弼自身が負傷していました。弾は腰部に命中。既に動けない状態だったのです。駕籠に、刀が突きたてられる。護衛はみな倒され、井伊は駕籠から引きずり出されました。

襲撃者は、水戸の脱藩浪士ら18名。国を憂いた井伊直弼は、同じく国を憂う者たちにより、暗殺されたのです。

水戸藩士たちに討幕の志はなかったという。ただ井伊を粛正することで、幕府を改革しようとした。が、その意図とは裏腹に、この件により、幕府の衰退が世に知れ渡ることになる。政治の安定性は、失われてしまった。



井伊直弼暗殺の報は、会津在国中の松平容保(綾野剛)にも届いた。容保の脳裏に、井伊直弼の言葉がよみがえります。<命を捨てる覚悟がなければ、国事には当たれませぬ>。

江戸城に、容保ら有力な親藩・譜代大名が集められました。話し合われる問題は、水戸藩への処分です。将軍・徳川家茂は、尾張と紀伊に水戸を討たせよと仰せだという。

その頃、覚馬は会津で、評定の場に上げる書状をしたためていました。<会津は幕府と水戸の間を取り持ち、和平を保つことに尽力すべし>。今は、海外に国を開いたばかり。内乱など起きてしまうと、異国に付け入られてしまう。なので、双方が矛(ほこ)を収められるように、手を打たねばならない。

微禄者とは知りながら、意見せずにはおれませんでした。覚馬は思う。寅次郎さんがやろうとしたことは、こんな風に国をふたつに割ることではない。


水戸討伐で話が決まろうとする中、容保が口を開きました。「それがしは、水戸様を討ってはならぬと存じまする」。大老を害したのは脱藩した者どもであり、これをもって水戸藩を罰したのでは、筋が通らない。今 国内で争うのは、慎むべきだと。

この発言で、評議の流れが一変することとなりました。

覚馬の書は家老の判断で差し控えられることになった。殿のもとには、届けられませんでした。けれど、容保の考えは、覚馬と同じものだったのです。

が、この発言が、会津を動乱の渦中に投げ込む結果になろうとは…。





吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)





【感想】


危機に対応しようと思うと、変わらねばならない。

変わろうとすると、新旧など、相反するものが対決することになる。

対決すれば、疲弊する。

疲弊すれば、危機に対応できない。


なかなか、難しいですよね。


「変わる・変わらない」でいえば、変わらないと危ない。

ただ、内部分裂や内部抗争は避けたい。

急ぐと反発が出る以上、ゆっくりやるべきか?

でも、ゆっくり過ぎると、手遅れになるかもしれない。

そもそも、自覚があるのかもあやしい。


変容というのは、こういうギリギリのところで行われるのだろうか?

悲しみは、仕方ないのだろうか?


人と社会が、今も模索する。

呑気なままでは、剣呑だから。





<<「井伊直弼の本心│八重の桜(4)」
   「文久の改革と容保の決断│八重の桜(6)」>>



容保に、京都守護職就任の話が。

涙の決断、その行方は?


次週、第6回「会津の決断」。



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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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