ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
NHK総合の大河ドラマ

「八重の桜」のレビューと感想。

第4話「妖霊星」


<もはや、古きよきものを守るだけでは、立ちゆかねえ。変えるべきは、変えていがねえと>

<命を捨てる覚悟なくては、国事には当たれませぬ>


急ぎすぎた覚馬ですが、時代が彼を呼びます。

また、助けてくれる人もあった。

硬化していたものが動きだし、新たな縁も。

そして、空には ほうき星が流れた。



八重の桜 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)



禁足の処分を言い渡された、覚馬(西島秀俊)。それを救ってくれたのは、西郷頼母(西田敏行)でした。安政五年(1858年)の二月。松平容保(綾野剛)に、頼母が進言してくれたのです。

通商条約調印が不首尾となれば、メリケンと戦になるかもしれない。「かがる折に、山本覚馬が兵制改革を献策したるは、武人として正しき振る舞い。禁足など、一刻も早ぐ、御解きになられますよう、御願い申し上げまする」

この頃、幕府中央は、将軍の後継者指名をめぐり、一橋派と紀州派の2つに割れていました。水戸の徳川斉昭(伊吹吾郎)は、実子・一橋慶喜(小泉孝太郎)を擁して、一橋派を形勢。これに、薩摩が協力します。一方、井伊直弼(榎木孝明)は、紀州の徳川慶福を推す。

異国と対峙せねばならぬ国難の時でありましたが、幕府は真っ二つに分かれようとしていた。



覚馬の禁足が、解かれることになりました。林権助(風間杜夫)からそれを聞かされ、権八(松重豊)らは安堵します。西洋砲術指南役と蘭学所教授には、共に復職。さらには、軍事取調役と大砲頭取に抜擢されるという。西洋の脅威を知る容保の取り立てでしたが、そこに頼母の訴えがあると聞き、覚馬はただただ感謝するのでした。

権助の話は、それだけではありませんでした。覚馬に、身を固めろという。またカッとして喧嘩しないように、嫁をもらえと。ちょうどいい縁談があるらしい。

覚馬の謹慎が解けて喜ぶ八重(綾瀬はるか)でしたが、盗み聞きしているのが見つかって、叱られてしまいます。と、権助は、八重の鉄砲の腕前が見たいと言い出した。

権助の前で、八重は鉄砲の腕前を披露。見事、的に命中させました。それに権助は、手ごたえを感じる。おなごでも鍛錬次第で、ここまでの腕になる。これなら、武術の心得が浅い者でも、西洋銃が使えれば、十分な戦力になると。

問題は、その銃の調達です。かなり、金がかかる。が、それは覚馬に案がありました。領内の鉄砲鍛冶の手を借り、安上がりに作ればいい。その道に長ける者として、覚馬は、川崎尚之助(長谷川博己)を紹介しました。

さあ、会津の兵制改革が進みはじめます。


っと、縁談の話ですが。相手は勘定方の樋口家の娘だという。権助が言うに、「西向いてろって言われれば、一年でも西向いているようなおなご」とのこと。

覚馬は縁談はまだ早いと言いかけましたが、先に権助に言われました。「小姑が鉄砲ぶっ放すような家に、嫁に来るようなおなごは、そうはおらぬわ」。そして、みなで大笑い。

そんなことを知らない八重は、鉄砲の腕を褒められ、「ありがとうごぜえやす」と頭を下げる。八重さん、凛々しいですな。



鶴ヶ城、番頭詰所。覚馬は頼母の前で、深々と頭を下げました。そんな覚馬を近くに呼び、頼母は小声で言った。「口が過ぎっと、敵を作んぞ」。愛ある故の、小言です。

頼母もまた、会津のことを一心に想う。イギリス・フランスが、清を攻めた。こうなると、我が国も安心してられない。戦となれば、藩屏(はんぺい)たる会津は、先陣を切ることになるだろう。とくれば、万が一の場合に、備えねばなりません。


出る杭は打たれる形で滞っていたものが、どんどん動き出します。古川春英(小市慢太郎)が蘭学所教授に任命され、医術を教えることになりました。また、尚之助の教授方就任も、御許しが出た。

頼母は、しみじみと漏らします。「いやあ、もはや、古きよきものを守るだけでは、立ちゆかねえ。変えるべきは、変えていがねえと」



それから間もなくして、うら(長谷川京子)が山本家に嫁いできた。籠(かご)かかれ~の、行列でき~の、権八と佐久むかえ~の、嫁ぎ~の。白無垢 着~の、互いに頭下げ~の、祝宴ひらかれ~の、嫁ぎ~の。

みなで酒を飲み、会津玄如節が歌われる。御馳走、お酒、歌、手拍子、みなで覚馬と うらを祝います。きれいな姉様を見て、八重も三郎(村山謙太)も、ワクワクした。


さて、教授方に就任することになった尚之助ですが、仕官の件だけは叶わなかったらしい。でも、身分や立場はどうでもいいと、尚之助は笑う。「ここにいれば、私のやりたいことができる。それで十分です」と。


嫁いできた うらですが、覚馬が筆を走らせている間も、じっと黙って控えています。覚馬が何を言っても、ただ「はい」と答える。林様の仰せの通りだと、覚馬は思った。西を向いてろと言ったら、一年でも向いているだろう。

そんな うらでしたが、覚馬の言葉に微笑んだ。「幾久しぐ、よろしぐ頼む」。幾久しく…、その言葉を噛みしめる、うらでした。



海軍伝習所の勝麟太郎(生瀬勝久)は、薩摩藩主・島津斉彬(林与一)のもとを訪ねていました。アメリカとの条約の件、幕府は調印すると腹をくくっているようですが、朝廷の御許しがまだ下りない様子。

開国について聞かれた勝は、こう答えました。「国を開き、進んで交易を行ってこそ、異国と互角に付き合えるものと存じまする」。斉彬も、同じ考えだという。異国と渡り合うには、日本はもっと強くならねばならない。

斉彬には、国に対する憂いがありました。幕府の役職は、譜代門閥で占められている。外様は、政には加われません。この慣例を、何とか変えることはできないか。門閥にとらわれず、有為の人材を登用してこそ、国は強くなれると。

その望みを一橋慶喜公に託していると、斉彬は話す。

が、勝はやんわりと断ります。「どなたが御世継ぎとなられても、天下のことは公明正大、公然と議せられるべきと存じまする」「筋の通った政が行われない国は、異国から侮られまする」

斉彬が向けた水を、勝は受け取らなかった。



その頃、西郷吉之助(吉川晃司)は、京にいました。慶喜を将軍継嗣(けいし:跡継ぎのこと)に擁立すべく、京の有力公家たちの斡旋に当たっていたのです。

薩摩が目指すのは、一橋慶喜をかついでの、公武親和。国をひとつにした後に開国し、富国強兵をはかる。これにより、西洋列強と渡り合おうというものでした。篤姫を13代将軍家定に嫁がせたのも、このためだといわれる。



薩摩の働きもあり、京の有力公家たちは、一橋派に協力。このまま進めば朝廷の推挙が得られ、慶喜が14代将軍に。松平春嶽(村上弘明)は、その手応えを感じていました。

ところが、安政五年の四月、井伊直弼が突如として大老に就任。時代は、春嶽の思い描いたのとは、反対の方向へと動きはじめました。



春が来て、八重たちは長閑(のどか)な日々を送っていた。川で、魚とりに興じます。そんな八重が、幼馴染の高木時尾(貫地谷しほり)に漏らした。みんな姉様のことを、よく働くいい嫁だと褒める。「んだげんじょ、私には、異国から来た船みてえだ」。もう2ヵ月になるのに、ほとんど口を聞いたことがない。うらはいつも黙って、働いているのです。

嫁ぐとはそんなものだと、時尾は言います。黙って夫と舅(しゅうと)に従うのが女の道だと、女今川にも書いてある。でも、八重は解せません。うちではみんな言いたいことを言うと話すと、時尾に、八重さんの家は他所とはちっと違うからと言われました。



安政五年(1858年)六月。時代がまた、動きます。幕府が、日米修好通商条約の締結に踏み切ったのです。江戸湾では、祝砲が響き渡りました。

これに、一橋慶喜は激怒。勅許を得ずに条約を結ぶとは、帝に対し不埒(ふらち)千万と、声を荒げます。しかし、大老・井伊直弼は、のらりくらりとかわすばかり。恐れ入り奉りますと口にしながら、そんな風には見えません。

一橋派らは、これを井伊直弼の独断と受け取りました。



翌日、徳川斉昭らが登城した。「彦根の赤鬼め、腹を切らせてくれる!」と、息巻きます。斉昭、息子で藩主の徳川慶篤(杉浦太陽)、尾張藩主・徳川慶恕(金子賢)で井伊直弼を囲み、詰問しました。

が、動じずに、直弼は毅然として答えます。清国を打ち破ったイギリスとフランスの艦隊が攻め込んでくるとの知らせがあり、アメリカとの和平を急ぐことになったと。早急に都に上り 違勅調印の件をお詫びしろと言われると、まことに仰せの通りにと従いました。

その上で、今度は直弼の方から切り出します。本日は、御三家の御登城日では、ありません。押しかけ登城は御法度であること、よもや御忘れではござりますまい。重い御処分覚悟で御登城された割には、さしたる話でもござりませんでしたな。

斉昭らは、返り討ちに遭った格好です。

翌日、徳川慶福を将軍の後継者に定めるとの、発表がありました。また程なく、斉昭には謹慎が、春嶽には隠居謹慎が、慶喜には登城停止の処分が下されました。

こうして、一橋派は、政治の表舞台から降ろされたのです。



そんな井伊直弼のもとを、容保が訪ねた。茶室でふたりは、語り合いました。そこで容保は、直弼の本心に触れることになる。

物事の筋目は通さないといけないと、直弼は言います。御家門であろうと、法に背けば、処分を受ける。その秩序が、国を治めるのだと。

なれど、厳しく出れば敵を作るばかりと、容保は返した。勅許を受けずに調印した件を、不敬だと非難する者もいる。そんな中での処分は、火に油を注ぐようなものです。

そもそも鎖国は幕府が定めた祖法(そほう:祖先から代々伝わる法)だと、直弼は言います。それに、天下の政は幕府が執り行うものと、朝廷から御一任をいただいている。「臨機応変の判断を誤り、国を滅ぼしては、かえって不忠となり申す」と、直弼は言った。無断調印の御咎(おとが)めは、我が身一心に背負えば済むこと。

宗観院柳暁覚翁大居士。直弼は、戒名を授かっていた。「命を捨てる覚悟なくては、国事には当たれませぬ」、そう笑ってみせる井伊直弼でした。



水戸藩に、朝廷からの勅書が下った。戊午の密勅(ぼごのみっちょく)と呼ばれるものです。朝廷から水戸藩に直接。これは前例のないことでした。いくら御三家といえど、将軍の家臣。それが、幕府を蔑ろにして…。

これを受けて井伊直弼は、立ち上がることを決める。これを謀反とし、幕政を揺るがす者どもは根から断ち切ってくれると言わしめた。



その夜、容保は空に、妖霊星を見た。八重、覚馬、尚之助も、見た。鎌倉幕府が滅んだ時も、妖霊星が現れたという。覚馬はそれを心配しましたが、尚之助は迷信だと笑いました。そうだとは思いつつも、覚馬は言葉にはできない不穏な何かを感じるのでした。


その年の6月、長崎でコレラが流行り始め、瞬く間に広まった。そして、薩摩の島津斉彬の命までもを奪うのでした(毒殺との説もあり)。


時代が、また動く。

安政五年九月、水戸藩への密勅に関わった者たちへの、検挙が始りました。安政の大獄の幕開けだった。



安政六年(1859年)五月。会津でも、攘夷を叫ぶ者が増えるようになっていました。攘夷を唱える者の中には、覚馬の洋式調練や蘭学所を目の敵にする者もいます。八重は心配しますが、うらは存外、平気なように見えます。

男勝りな八重に対し、うらは おなごは男に口出しするものではないという教えを徹底的に守っているのです。夫には考えがあるのだろうから、何も口を出さない。ただ、信じるのみ。まるで、水と油。それでいて、両方、頑固にも見える。会津では、男も女も、筋金入りなのだろうか。

と、覚馬が大慌てで家に駆け込んできた。吉田寅次郎(小栗旬)が、江戸で取り調べを受けることになったのだという。ひょっとすると、安政の大獄に関わることか? しかし、寅次郎は萩の牢にいたはず。

信じたくはありませんが、不安を隠せない、覚馬たちでした。





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【感想】


危機が、改革を呼ぶ。

火急の要事が、若者を登用させる。

必要が、変革を促進させます。

が、同時に、中央では内部分裂が。


みな、国を想う。

よくしたいと願う。

ただ、方法と方向が違う。


方法と方向にこだわるので、人が割れ、国が割れる。

目指す先は同じでも、ルートが違う。

ルートの違いだけで、仲違いする。


互いの本心を知る機会さえあれば、また違ったろうか?

少し譲る心さえあれば、結果は異なっただろうか?

それは、分からない…。


日本で、破壊と創造が、はじまろうとしていました。

そこで人は、どう生きるだろう?





<< 「急ぐ覚馬、壁にぶつかる│八重の桜(3)」
    「松陰の死と桜田門外の変│八重の桜(5)」>>



攘夷派の手が、覚馬にも。

寅次郎の運命は?


次週、第5回「松蔭の遺言」。



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生息地:関西
分類:昭和人間
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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