ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
NHK総合の大河ドラマ

「八重の桜」のレビューと感想。

第1話「ならぬことはならぬ」


<断固として事を行う時、人はみな、狂気ですけえ>


会津っ子と、什の掟。

八重、鉄砲と出会う。

容保公への恩。

覚馬、象山に入門す。



八重の桜 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)



あるところの影響が、別の場所に及ぶことがある。

意外な場所で、思ってもみないことが起こる。

これが、世界がつながっている証明になるのかもしれない。


南北戦争では、多くの近代兵器が投入されたという。

そのうちのいくつかがやがて、日本へと渡る。

道具それ自体は、意志を持ちません。

勝手に何かすることもない。

ただ、それを人間が使うことで、世の中が大きく動くことがあるという。

新しい道具は時に、国をも動かす。

そういう意味では、拳銃も、インターネット(Twitter や facebook)も、そう変わらないのかもしれない。



嘉永四年(1851年)夏。

幼い八重(鈴木梨央)は、木の上にいた。若殿様の行列を確認するためです。

松平容保(綾野剛)公のお国入りでした。

行列の中には、八重の兄・山本覚馬(西島秀俊)の姿もあった。



父・山本権八(松重豊)は、砲術指南役。

そして、覚馬も西洋銃を使うようになっている。

八重は、自分も鉄砲を撃ってみたくてたまりません。

でも、権八には笑われるだけだった。

女は薙刀(なぎなた)をやっておればいいと。

それでもやりたいと食い下がると、ならぬことはならぬと叱られました。


でも、これであきらめるような八重ではありません。

もう、撃ちたくて撃ちたくてしかたない。



会津藩には、「土津公家訓(はにつこうごかきん)」というものがある。

土津公とは、会津松平藩の祖、保科正之のこと。

ご家訓は、絶対的な国是でした。


将軍家に忠義を尽くすことを第一とせよ。

他の藩の行動にならってはならない。

二心(主君に背く心)を抱くようであれば、それは我が子孫ではない。



会津藩の藩校、日新館。

藩士の師弟は、10歳で日新館に入学する。

学問と武芸の鍛錬に励みます。

それもすべて、強い武士となって、将軍家をお守りするため。

会津藩のアイデンティティーは、そこにあるようでした。

それが自分だと、胸を張って誇る。

人間は忠義と同一だった。



子どもたちが復唱する。


「年長者(年上の人)の言うことに、背いてはなりませぬ」

「年長者には、お辞儀をしなければなりませぬ」

「うそを言うてはなりませぬ」

「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」

「弱い者をいじめてはなりませぬ」

「戸外(そと)で物を食べてはなりませぬ」

「戸外で女と言葉を交わしてはなりませぬ」

「ならぬことはならぬものです」



子どもたちは、6歳で「遊びの什(じゅう)」に入り、まず「什の掟」を学ぶという。

日々、共に遊んで、絆を強めます。


会津藩番頭の西郷頼母(さいごうたのも:西田敏行)もまた、ここで学び、友たちと絆を深めた。

頼母によると、会津の親は子どもたちに、喧嘩をするなとは言わないという。

その代わり、逃げ隠れすると、ものすごく叱られる。

「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」

童の遊びも、鍛錬のうちなのです。



追い鳥狩りが近いこともあって、藩士たちは張り切っています。

追い鳥狩りとは、藩を挙げての軍事総練のこと。

若先生と呼ばれる覚馬は、若い者たちに拳銃の指南をします。


そして、その日が来ました。

八重も大勢の人に交じって、見物する。

その目の輝き方といったら、もう。

憧れに満ち溢れている。

八重はきっと、この中に交ざりたい。


一番鳥を挙げるのは、誰か?

八重たちは、前の方で見物することに。


勢子(せこ)により、キジが放たれました。

殿に一番鳥を献上するため、みな気合が入ります。

有力とされるのは、西郷頼母、佐川官兵衛(中村獅童)。

大砲奉行の林権助(風間杜夫)は、覚馬に期待します。


八重は、木の上に登りました。

ここなら、邪魔にならないはず。

興奮する八重は、上へ上へと登った。

山川与七郎(里村洋)も、負けじと登ります。


やがて、思わぬことが起きてしまいました。

八重が木から落ち、それに頼母の馬が驚いて、急停止してしまったのです。

ちょうど、頼母がキジを仕留めようとした瞬間でした。

そのせいで頼母は仕留めそこね、その間に、官兵衛が一番鳥を挙げることに。


木から落ちかけた八重でしたが、草履が落ちただけで助かりました。

奇跡的に、下の枝に引っかかったのです。

が、狩りを邪魔された頼母は激怒。

覚馬も駆けつけ謝罪しますが、怒りは収まらない。

やがて、与七郎たちも戻り、謝ります。

競い合って木登りしたのが誤りだったと。


八重の窮地を救ったのは、容保公でした。

競い合って登っていたのなら、それもまた子どもたちの戦。

それに、武士らしく名乗って出た。

卑怯な振る舞いはしてないと。


頼母は八重たちに、しっぺいの刑を申し付けました。

今でいう「しっぺ」ですね。

人差し指と中指で、ペシャンとやる。



家に帰った八重は、蔵に放り込まれた。

当然、飯抜きです。

が、覚馬がこっそり、握り飯を持って来てくれました。


八重は泣いた。

叱られたからではなく、恐ろしくなったのでもなく、覚馬のやさしさに打たれたからでもない。

それは、容保公に武士らしいと言われたから。

卑怯じゃないと言われたから。

八重は心から、容保公のお役にたちたいと思いました。

いつか強くなって、若殿様に御恩を返したい。

八重は覚馬に、「鉄砲さやりてえ」と涙ながらに訴える。

その小さな頭を、覚馬はやさしく なでます。



嘉永五年(1852年)一月。

出会いが待っていました。

八重と覚馬は、ふたりの男と出会った。

ひとりは、肥後藩士の宮部鼎蔵(みやべ ていぞう:宮内敦士)。

もうひとりは、長州藩士の吉田寅次郎(小栗旬)。

後の、吉田松陰です。


寅次郎は、愉快な男だった。

愉快に凧を揚げ、愉快に酒を飲む。

何にでも興味を示し、実際にやってみる。

まるで、好奇心の塊です。


ふたりの目的は、北方の守りの視察でした。

奥羽に、異国船が出没しているらしい。

この後、津軽まで行くつもりだという。

雪の山越えを狂気の沙汰だと言う覚馬に、寅次郎は言った。

「断固として事を行う時、人はみな、狂気ですけえ」


宮部も、寅次郎も、憂国の人でした。

今のままでは、この国は危ない。

江戸の海は、閂(かんぬき)を掛けない門も同然。

簡単に、異国船に破られてしまうという。



その予想が、現実となりました。

嘉永六年(1853年)六月。

ペリー率いるアメリカ合衆国艦隊が、浦賀に来航したのです。

そして、開港か否か、幕府に迫ってきた。

期限は、1年。


そんな中、覚馬が江戸に留学することになりました。

林権助の推挙だった。

最新の西洋砲術を学ばせるためです。


覚馬が訪ねたのは、佐久間象山(奥田瑛二)。

が、いきなり入門を断られます。

象山先生は、偏屈というか、かなり難しそう。

何度頼んでも、取りつく島がありません。


しかし、覚馬は、象山とのやり取りで気づきました。

足りないのは、大筒云々より、その基になる知識。

異国を知る目だと。

象山は言った。

仕組みさえ理解すれば、西洋の技術は日本人にも作れると。

実際、オランダの辞書を解読し、象山は日本初のテレグラフ(電信機)を作っているのです。


出直そうとした覚馬に、象山は入門を許しました。

分かったのなら、それでいい。



佐久間象山の塾には、興味深い人がたくさんいました。

江戸弁の勝麟太郎(生瀬勝久)、蘭学を極める出石藩士の川崎尚之助(長谷川博己)。

吉田寅次郎の姿もある。


象山先生の講義に、覚馬は衝撃を受けた。

誠の攘夷は、夷の術をもって、夷を防ぐこと。

西洋の技術を学ぶことで、西洋の脅威を退けようというのです。

まずは海軍を作り、歩兵隊も整備する。

彼らは、侍の仕組みを変えようとしていました。

西洋の技術と、東洋の道徳の融合。

それが象山の目指すところだった。


覚馬は、己の目が開かれてゆくのを感じた。



その頃、八重は、こっそりと銃について勉強していました。

見つかると父・権八に叱られるので、隠れてやる。

まずは、本の写し書きからです。

何が書いてあるのかよく分からなかったけど、自分からやる勉強は楽しかった。


覚馬も江戸で、勉学に励みます。

遅れを取り戻すべく、寝る間も惜しんで写本する。

少しでも多く学んで、会津に持ち帰るつもりです。



嘉永七年(1854年)一月。

再び、ペリーが来航しました。

海防参与の徳川斉昭(伊吹吾郎)は、断固として開港に反対する。

斉昭は、強硬な攘夷論者なのです。

が、評議では、掃部頭(かもんのかみ)・井伊直弼(榎木孝明)らが、和親を受け入れるべきだと主張。

容保も、今 戦を始めるのは無謀だと進言した。

こうして、開国が決まりました。

しかし、斉昭との間に、遺恨が残ったようにも見えた。



覚馬は、江戸湾へと走りました。

この男、よく走る。

初めて見る黒船は、想像以上だった。

覚馬も尚之助も、度肝を抜かれます。

それはまるで、空にそびえる黒金の城 海に浮かぶ城だった。


そんな脅威を目の前にした覚馬でしたが、同時に決意しました。

あの船に、乗り込む。

あれこそ、西洋の技術の塊だ。

それを吸収すれば、日本は…。




独学で鉄砲を学び始めた、八重。

世界に目を向け始めた、覚馬。

激動の時代の中で、何を見るだろう?





新島八重 愛と闘いの生涯 (角川選書)





【感想】


まず、絵がきれい。

ホコリや泥など、NHKらしい演出が随所に見られます。

細かい、細かい。

CGも美しい。

お金、人、時間が、十分にかけられている印象。

同じことは、なかなかやれんでしょう。


ちいちゃな八重の会津弁も、かわいい。

しっかりした俳優さんばかりで、安心して見れます。

ああ大河! という感じがする。


ここに人間の生き様が加わるわけだから、楽しみで仕方ありません。

これは、一年を通して楽しめそうだと、大いに期待します。





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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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