ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
よく個人が陥ってしまう、「すべき思考」。完璧な理想像を設定し、「こうあるべき」「こうすべき」「○○しなければならない」と、過剰な要求を課してしまいます。

また、認知の歪みを持っていると状況分けが困難になったりするので、場にそぐわない理想や完璧を目指すことも。間違ってはいないけれど、ここでそれを目指すのはどうか? といったことにもなりがち。



すべき思考の源泉は、完璧主義や理想追求にあるのかもしれません。

それはそれでかまわないのですが、ここに問題がひとつ。それは、「例外をゆるさない態度」。


「○○するべきだ」という考えに囚われると、いつでも、どこでも、「そうしなければならない」と思ってしまう。学校や会社でも、通勤時間でも、そして家でも、己に要求を課してしまいます。

それを誰が課すのかといえば、頭です。頭が命令し、体や心を従わせようとする。理想を目指すために、我慢しろと。

するとそのうち、体や心は疲れてきます。疲れるのだけれど頭は頑ななので、休むことを赦さない。「○○するべきだ」と、いつでも、どこでも、命令する。頭はそれが気持ちいいから。

でも、体や心は違います。頭とは別の、「△△したい」を持ちます。自然な、体や心を維持するための、欲求を持つ。

この「頭」と「体や心」の決裂やバランスの欠如が、何らかの症状として現れることもあります。



上に書いたのは個人のことで、「すべき思考」は内を向いています。自分に向けられている。

これが社会的なものだと、外を向くようになります。つまり、「○○するべき」と社会や集団を攻撃することになる。

これもすべてが悪いわけではありません。そういう要求はあってもいいし、必要な場合もあります。

けれど認知の歪みを持っていると、個人の場合と同様に、「例外をゆるさぬ態度」で、「いつも」、相手に「○○すべきと要求する」ことに。

また、個人の例とは反対で、それをあまり自分に向けようとはしません。誰かにさせようとする。



そして問題なのが、「場違いな理想」を追い求めること。

確かにそれは理想かもしれない、でも、現時点ではかなり難しい。そういうことを、誰かにやらせようとする。また、できないと非難する。



すべき思考は、その他の認知の歪み同様に、自動でそうなる思考、考え方の癖です。

なので、それを書くことによって、チェックする。それが合理的なことなのか、確かめてみます。


・○○できていない。

 → 最低限もできていないのだろうか?
 → 完璧でないにしても、できている部分はないだろうか?
 → そもそも、それができる状況にあるのだろうか?
 → それは、その役割の人がやるべきことか?

・○○すべきだ。

 → 理想はそうかもしれない。でも、いつもそうすべきだろうか?
 → この場合には、それは当てはまるのか?
 → ここでも、頑なに守らねばならないことなのか?

・○○の責任である。

 → 本当にそうだろうか?
 → 責任はあるにしても、全部だろうか?
 → すべてを負うものなのか?
 → 役割と責任が、マッチングしているだろうか?


・できないと非難するが、できるようになるには、どんな方法があるだろう?

・問題を回避する具体的な方法は?

・では、他にそれができている人がいるだろうか?


このようなことを、一つひとつ検証します。


我々は時に、無用なほど、自分自身を責めてしまいます。度を超えて、責める。

で、結果として、憂うつな気分になってしまう。

これと同じようなことが社会的にもあり、無用なほど相手を責めたり、度を越えて否定したりもする。

(ずるい例になると、相手は徹底的に責めて、自分や仲間に対しては奇妙なほどの寛容を示すことも)


度々書いてきましたが、度を超えると、前提を間違えます。

無用に否定したり、過小評価してしまう。

そして前提を間違えば、選択をも間違うのです。


だから、認知を正すことって、すごく大切だと思うんですよね。

個人だと、無用な重荷を下ろしていいし、体や心の言い分も聞いた方がいい。でないと、パンクしてしまいます。

また、社会では、度を過ぎたり場違いだったりする批判は、前提を間違わせてしまいます。フェアな物の見方を、阻害する。

だから、選択を間違わないためにも、正しい前提をみんなで共有することは、今の日本にとってすごく大切で、急ぐべき仕事だと思えて仕方ないのです…





フィーリングGoodハンドブック



はじめての認知療法 (講談社現代新書)





○○すべきという思考自体は、間違いではありません。

それを、いつでも、どこでも、適用させようとするのが、間違い。

つまり、場合分けさえきちんとすれば、それは機能します…





<<「感情的決めつけ/認知の歪み 社会編(7)」
   「レッテル貼り/認知の歪み 社会編(9)」>>


 → 認知の歪み




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生息地:関西
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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