ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
アンソニー・スティーヴンズは著書の中で、精神療法の実践へのユングの貢献について、以下の4点を中心に説明してくれています。


(1) 心の病に対する取り組み方
(2) 患者に対する態度
(3) 治療においてユングが唱えた原則と技法
(4) 治療者の役割に関するユングの見解







まず大事なのは、「患者の話すことは、どんなにちぐはぐで幻想的であろうとも、真摯に耳をかたむけるべきである」と書いてあります。



彼らの心の中には、見かけよりももっと多くの意味あることが進行している。じつのところ、心を病んだ人たちの中に私たちが発見するのは新しいものでも未知のものでもない。私たちはそこで、私たち自身の本能の基層と出会うのである。



表面に現れているものに注目する時、それは奇異なものかもしれません。驚くべきものかもしれない。

しかし、その根底にあるものや、その人が置かれている布置を、我々は忘れがち。あるいは、見ようとはしていないようです。


症状に注目する時、我々は怖れを抱くかもしれません。我々にはないものとして、切り離そうとするかもしれない。

しかし、彼らが置かれている状況を鑑みれるようになれば、少し違ってくるかも。


実はこういうのは、事件にもいえ、事件の表面を見る時、我々は怖れを抱いたり、異常だと言ってしまったりしますが、そこにあるのは、昔ながらの布置だったりする。カタチを変えた、昔ながらの、布置。あるいは、誰もが経験したり、経験しないまでも身近なこととして知っている、布置。

そういった布置の極端な例が、事件の背後に見えることがあります。


悩みは、ほどほどである場合は、問題にならない。しかし、程度を超えると、問題になります。

布置というのも、ほどほどである場合は問題になりませんが、程度を超えると問題になり、何か、とんでもないことを引き起こしたりするようです。


布置といえば、よくよく聴いてみると、置かれた布置が、神話や昔話といったものに重なる場合もあるでしょう。

今の時代に現れているカタチとしては違うのだけれど、その奥にあるものとして、通じるものがあったりする。


そこには、我々が“昔から持っているもの”が潜んでいるのかもしれません。

元型、あるいは、テーマ、物語。

みんなに内在しているものが、奥の方に見えるかもしれない。






神経症者の心の中の動きは、いわゆる正常な人のそれとは殆ど違わない。そもそも、今日、自分は神経症でないと確信をもっている人がどれほどいるだろうか。



表面に出てくるものが極端であるにしろ、その基層は変わらないと。

また、事情や布置を知っているのとそうでないのとでは、見える姿も違ってきます。

我々はそういうものを無視しながら、表面だけに注目し、結果、そんなに異常でないものを異常扱いしたり、そんなに変わらないものを変わったものとして捉えたりする。

また、本人にしても、布置を見ないままに――見ることができないままに――症状だけに悩んでいる場合も多いようです。


アルプスの少女ハイジが、クララの屋敷で深夜に徘徊した時、我々は驚くにしても、そんなに異常だとは思わないでしょう。

それは我々が画面を通して、事情や彼女が置かれている状況をよく知っているから。

おじいさんと引き裂かれて、どんな気持ちだろう。アルムの山に帰りたいに違いない。本来 自由な子があんなに杓子定規にされて。

などと、画面を見て、思ったりします。


が、例え身近にいても、それを無視すれば、ハイジはどう扱われるでしょうか?


そういうことが、世の中には、案外、多いようです。




「じつのところ、心を病んだ人たちの中に私たちが発見するのは新しいものでも未知のものでもない。私たちはそこで、私たち自身の本能の基層と出会うのである」


そう言われた時、言葉は悪いのですが、「我々もああなり得るのか?」、そう思い、怖れるかもしれません。

でも、そういうことではないんですね。

そういうことではなくて、何というか、例えば、人間は極端な状況に置かれた時 堪らなくなる、そういうことも、あるわけです。

物語にあるような、子をとられた親はどうか? 鬼の子として村で育った者はどうか? シンデレラはその境遇に堪え得るのか? そういうこともあります。

(実際にそうならないにしても、そのような状況というのは、あったりする)

また、影との対決の苦しみはどうか? うすうす知っていながら立ち向かえないものを前にした時、人はどうなるか?

コンプレックスにより特定の状況でうまく振る舞えないことは?


そんなことを考えると、程度の差こそあれ、誰もが部分的には経験していることでもあるんですね。

誰でも堪らなくなったり、うまく振る舞えなかったり、しんどくなったりするわけですから。



一番最初の言葉、「患者の話すことは、どんなにちぐはぐで幻想的であろうとも、真摯に耳をかたむけるべきである」にしても、それは単に、うまく説明できていないだけ、のように思えます。

みなさんだって、全部が全部、理路整然と説明できんでしょう。

特に、心に関する部分は、難しいはず。だから端から、説明しないし、口に出さない。


患者さんはいわば、説明せざるを得ない状況にあるわけで、説明しづらいテーマを語ることを強いられている。

だから、ちぐはぐになっても、当たり前ですね。

それが話しているうちに、だんだんとまとまりを持ってくるのでしょう。

それがある意味、治療だともいえる。

はじめ混沌としていたものが、だんだんとまとまって、何かが見えてくる。



どうしても心理に関するものにはアレルギーが強いようですが、人間には心があるわけで、もう少し身近になってもいいのにな、と思います。

認知の歪みなんかが修正できれば、もう少し社会はよくなると思いますよ…





心理療法序説
心理療法序説



自己実現の心理学―元型論入門
自己実現の心理学―元型論入門





次回に続く…





ユング心理学概論の目次





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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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