ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
A・スティーヴンズは、ユングがバーゼル大学に提出したという学位論文「いわゆる心霊現象の心理と病理」の中に、後に彼の心理学の中核となる、二つの考え方の源を見出しています。それが以下の二つ――



(1)無意識的な心のなかに存在している部分人格、あるいは「コンプレックス」は、トランス状態、夢、幻覚などにおいては「人格化」することがある。

(2)人格発達の真の作業は無意識のレベルで進行している。




「無意識的な心のなかに存在している部分人格」とは、何でしょうか?


例えば、我々は自分の感情、あるいは態度や行動を、知らず知らずの内に、抑圧していたりする。我々の中には、ルールや囚われ、恐れなどがあり、それらが知らない間に強固なタブーを形成し、本来表に出るものを抑えつけ、無意識に追いやっていたりするのです。

ある時は、別にしないでいい我慢をしていたり、またある時は、執拗に何かを避けたり、何らかの理由で「○○してはいけない」という絶対順守の掟を作り、それに従っていたりする。

いや、そもそも、「○○してはいけない」という意識さえなく、ただ、そうしていたりする。

確立された「○○してはいけない」という経路は、深い溝に水が流れるように、意識しなくても自動で流れるようになります。自動に、つまり無意識に、処理される。

何だか分からない、でも、そうしてしまう。そういうことになってくる。

考えることも意識することもなく、ただ当たり前にそうする。まるで反射です。あまりに当たり前すぎて、途中の意識的な処理が省かれてしまう。


「○○してはいけない」。そんな掟ができるということは、そこにはある程度の――あるいはそれ以上の――正当性があるのでしょう。

ただ、物事が多面的である以上、そこに欠点や邪さがあるにしても、それ以外のものも包含されていることになる。世の物事は、その割合は別にしても、よい面と悪い面の両方をあわせ持っているのです。だいたいが、よい面と悪い面というのは人間の――それも、その時代だったりその地域だったりの人間の、もっといえば個々人の――主観によるものなのですから、存在というものに対し、いいも悪いもないことになる。

この辺の詳細は後に語ることになると思いますが、ともかく、我々は生きている内に、“生きていない部分”というものを、無意識下に形成させるものなのです。無意識に押しやる何かを持つことになります。


北に向かえば、南からは離れます。明るいほうに近づけば、暗いほうから離れることになる。これと同じように、考えることを重んじれば、感情というものから離れたり、みんなと付き合うことを重んじれば、自分の内面を深めることから離れたり、何事においてもそういうことが生じる。

何かに向かえば、その反対からは離れるし、何かを手にしようとすれば、その反対のものを手放すことになったりと、そういうことが生きている間に起こるのです。

何かをするということは、その反対の別の何かしないことだったり、放置することだったりします。

で、そういうものが無意識の中で、生きているわけです。放置されているから死んでいるのかというと、そうではなくて、見えないだけで生きているのです。



我々はそれを見ることはないし、意識することもありません。が、それはあくまで「基本的に」というだけ。

上に書いたように、「トランス状態、夢、幻覚などにおいては『人格化』することがある」ということになる。


無意識の中に潜む何かが、例えば、夢の中で顕現するわけです。

我々は夢の中の登場人物を、夢の中で見える“その人”だと思ってしまいます。

例えば、近親者ならその近親者、有名人ならその有名人本人だと。

しかし、上の考えによるなら、それは近親者なり有名人なりの姿を借りているだけで、その本質は違うと。(細かいことをいうなら、その目に見えるものと同じ性質を有した、もっと根源的なもの、ということになります)

その中身なり本質は、当人の中にある“何か”、無意識の中に生きている“何か”だというのです。

この辺の細かいところも、後々書いてゆくつもりです。(「夢」とか「象徴」のところになるかな?)





A・スティーヴンズによれば、これらの考えが以下のものを生んだといいます。それは――


(1)’能動的想像法
(2)’個性化




能動的想像法については別に書くとして、ここでは個性化の概略について説明します。


上に書いたこととも通じますが、我々は生きている内に、ある種のパターンのようなものを持つようになります。

例えば、考えるタイプの人は、何かにつけて考える。感情に従う人は、何かにつけ感情に従う。人と共有しようとする人は多くを共有しようとするし、自分の中で深めるタイプの人は、それが何であれ、多くを自分の中で深めようとする。

正しさにこだわる人は多くのことをちゃんとしたいと思うし、安全にこだわる人は何かにつけ安全であろうとする。楽しくやりたい人は何でも楽しもうとするし、穏やかでありたい人はいつも穏やかでありたいと願います。

(「いつも」といっても正確にいつもではありませんが、概ねそうだったりする。大まかなパターンは有していたりする)


このように我々は何かしらの性格を持ち、それに沿って生きる。

ということは、その性格に沿った部分をより多く生きる。それを強化し、成長させる。

いつも使う部分というのができて、それを好んで使用するようになる。


実はこれ、歪(いびつ)なことでもあるんですね。

例えるなら、右手ばかり使う人は、右手ばかり発達して、左手は未発達になります。

実際の我々は何やかんやいいながら右手も左手もそれなりに使いますが、性格的なものにおいては、時に、一方をすごく重んじて、もう一方はめったに使わなかったりする。

この辺も「タイプ論」のところで説明しますが、人間のタイプ(態度や機能)はペアをなしており、しかも相反する性質だったりする。だから、一方に偏れば、もう一方は手つかずになるのです。相反することを同時には行なえないから。

外向的な生き方と内向的な生き方を両方同時にするのは難しいでしょ? 他にも、自分のことを考えようというのと、他人のことを考えようというのも、同時には出来ない(まったくできないわけでもないでしょうけども)。あっちを見たらこっちには背を向けることになるし、こっちに一生懸命になったらあっちはなおざりになってしまう。

その結果、例えるならまるで、右手だけ巨大化した人のような、目だけが発達したような、耳だけが発達したような、そんな歪さを、我々は持つことになるのです。

ま、あくまで例えですが。


それを補うのが、全体性の獲得です。

何かひとつが突出するのではなく、もっと全体的に身につけ、まるで球のような存在になる。

どこかが突出して尖っているような存在ではなく、それなりにまんべんなく持っている、そんな存在になる。

今まで見てこなかったものにも目を向け、あるいは、考え、感じ、受け取り、今まで生きてこなかった部分を生きる。



個性化とはつまり、人格発達の最終的到達点は全体性、つまり個人的状況が許すかぎり完璧な人間になることである。




ケッタイな例え方をするなら、右手ばかり使って、それにより右手だけが発達していた人が、左手も使うようになり、あるいは、足も使うようにもなり、そんな風にやがて全体をある程度発達させ、できうる限り完璧な人になってゆく。そういうイメージでしょうか。


そういうことと共に、もっと単純な理(ことわり)もありますよね。

身体の一方ばかり使っていると、やがて調子が悪くなる。姿勢が一方向にばかり傾くと、これまたおかしくなってくる。身体のどこかをあまりに使わないと、それはそれでバランスを崩したりする。

人間総体、心と身体をあわせた全部のことを考えても、こういうことが言えるわけです。

人間の中にある補償作用と共に、実際問題不具合が出るという現実もあると。



だから、個性化という意味でも、全体性を獲得しなければならないし、もっと個体維持的な意味でも、バランスを回復させねばならない。広い意味で死なないように、どこかでやり直すことは必要なわけです。



ということを踏まえつつ、次回に続きます…





能動的想像法―内なる魂との対話
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ユングと心理療法―心理療法の本〈上〉 (講談社プラスアルファ文庫)
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