少女はついに、男と一緒に逃げ出すことを決意しました。
その際、実は男だけを逃がすつもりだったことを告白します。
そんな少女に、男は言いました――
「それはできないよ。わたしを奴隷にして、自分も奴隷でいるか、わたしを自由にして、自分もまた自由になるか、そのどちらかだ。」
◇
何度か書いてきたように、我々は時に、自分の中に異なる性質を見つけます。今までに無いものや、困るもの、否定してきたもの、よく分からないものなどを見出したりする。
そんなものの内、ずっとずっと奥にある、根本的に違う、正反対の存在とも出会うかもしれません。
そして、往々にして、そういうものを敵視したり、問題だとしたりして、排除しようと躍起になる。時には混乱し、頭を抱えてしまう。抑え切れない衝動に駆り立てられることもあるでしょうか。
しかし、しばらくすると、その中に意外といい面を見つけることもあります。少なくとも、徹底的に排除したり、否定するのは、忍びなくなってきたりする。
さりとて、完全に認めることはできない。自分の中に取り入れることはできない。なぜなら、それを全面的に認めることは、今までの自分を否定することになると思えるからです。今までの自分を棄てることになると、思える。
☆
このような中で、何らかの「それ」を自分から切り離して、自由にさせようとするかもしれません。ある意味、逃がそうとするかもしれない。
「それはできないよ。わたしを奴隷にして、自分も奴隷でいるか、わたしを自由にして、自分もまた自由になるか、そのどちらかだ。」何らかの「それ」を隷属させるというのは、それを通して、実は、自分自身を何かに隷属させているのと、同じなのかもしれません。それを奴隷とすることで、自分をも奴隷としてしまう。
それを抑え付けることで、自分をも抑えつけているのかもしれない。
☆
「わたしを自由にして、自分もまた自由になるか、そのどちらかだ。」異なる性質を持つ、過去には嫌った、でも今ではそうではない、そんな「それ」を自分から切り離して逃がすのではなく、自分もそれと手をつなぎ、共に自由になる。
「それ」を解放することで、自分もまた自由になる。解放される。
これをまったく関係のないところでやると、それはそれでややこしいことになるのだと思うのですが、逆に、関係したところで――それ故に怖さを感じたり、困難さに悩んだりしながらも――やることには、意味がありそうです…
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