ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス 著、石井千春 訳。

「子どもが育つ魔法の言葉」より



「けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる」 (P26)



子は基本的に、親を見本として育ちます。生まれたての赤ちゃんは、親が笑いかけると、映し鏡のように、笑う。その延長です。

なので、始終文句を言われて育つと、人をけなすことを覚えてしまう。またやがて、自分を責めるようになり、悪い点を探すことばかり上手になってしまいます。


イライラすることは誰にでもあるし、きつい物言いをすることも誰にでもあるでしょう。

しかし、その頻度が高いと、どうなるでしょうか?

「たまに」と「いつも」は、どう違うでしょう?

例え少量の水でも、いっぱいいっぱいのコップからは、あふれてしまいます。



[ 分けて考える ]

何か失敗をしたとしましょう。

確かにそこには、マズイ態度や行動があるかもしれません。

でも、だからといって、人間そのものが悪いわけではない。

人格が否定されるものではありません。


例えばこの本の例なら、不注意で花瓶を倒したことは悪い。でも、その子自身が悪いわけではない。

悪いのはやり方なので、やり方をなおせばいいのです。

人間そのものは、問題ない。


また、何が悪いのかを知るには、話を聞かなければなりません。

そして、いきなり叱ると、子どもは話せなくなってしまう。

悪いのは、やり方。

それは、聞かなければ分からない。



[ しないほうがいいこと ]

いきなり怒鳴らない。

グズだとか――人格を否定するようなことを――言わない。


[ したほうがいいこと ]

どうしてそうなったのかを、聞く。

悪い子だと言う前に、「どうしたの?」と。


やり方にまずい点があったら、そうならないようなルールを決める。

大事なことは、失敗から学ぶこと。

やり方を修正すること。


時には否定的な言い方を避け、「○○しよう」と決める。

また、できたら、褒める。





子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫)






[ 日本にある問題 ]

日本人は「聞いてもらえない」経験を代々経験した結果、「どうせ聞いてもらえない」とか「言っても無駄だ」と、そんな思いが積み重なっているようです。

これは一方のみでは解決しないことなので、根が深そうです。



「けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる」

いちいちケチをつけられて育つと、文句ばかりで何もしない人間に育つ。

これが、社会を覆っているのかも。





   「(02) とげとげした家庭で育つと…」>>





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ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス 著、石井千春 訳。

「子どもが育つ魔法の言葉」より



「とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる」 (P40)



特定の対象に対して気持ちが硬直したり 弱ったり くじけることを、「恐怖」というそうです。

一方、特定の対象がない、つまり無によって脅かされるのが、「不安」であるらしい。

そして、恐怖に長い間さらされると、恐怖はやがて不安に変わってゆくといいます。


子どもは(長期の)敵意や憎しみの中で育つと、精神が不安定になるのだそう。(P41)

小さい子にとって、それは恐怖。恐怖が常駐化し、いつもそんな状態にさらされるなら、その恐怖は不安に変わるのかもしれません。


無によって脅かされるのが不安であると、上に書きました。

この無は、すべての物が無いという意味ではありません。

どちらかといえば、「あるはずのものが無い」といった意味。


赤ちゃんの安心は、無条件に愛されること。穏やかな中で、抱きしめられること。

無条件に受け容れられることが、基本的信頼という基盤を築くといいます。

これを支えに、人間は成長し、社会で生きていく。


このことを考えると、そういう「あった方が生きやすいもの」が無いと、不安になるのかもしれません。


ある人は、あるのが当たり前だと思う。故に、安心の上に立ち、生きられる。

でも、無い人はどうだろう? また、敵意や憎しみ、暴力や罵り合いが「普通」や「当たり前」になったら、どうなってしまうでしょう?


乱暴な子、引っ込み思案な子、いろんな子がいます。また、それが過ぎると、「問題ある子」として見られるかもしれない。

でも、そういう表面上の態度が、自分を守るための処方だとしたら?

敵意や喧騒に打ち勝つため、強くなる(乱暴になる)しかなかったとか、殻に閉じこもるしかなかった(避難)とか、もしそうだとしたら?



とはいえ、社会に生きていると、イライラしたり、感情を溜め込むことも多々あります。負とされる感情を家に持ち帰ることも、少なくないかもしれません。

上述の考え方からすれば、家に怒りや憎しみを持ち込まない方がいいことになります。けれど、子どものためとはいえ、これらを完全に抑え込むのは、無理でしょう。


では、どうするか?


実は、これもやり方。

感情を出すこと自体が悪いわけではありません。当り散らすなど、その表現方法が問題になるだけ。

出す出さないでいえば、むしろ出した方がよさそうです。だって、出さないといずれ、爆発するから。

なので要は、出し方なのです。


この本では例として、言葉で表現する(させる)ことを勧めています。

行動ではなく、言葉で吐き出させる。

それも、決めつけたり先回りしたりせず――というのは「○○なんでしょ?」なんてことは言わず――「どうしたの?」と聞いて、出てくるのを待つと。


大人の態度としては、「感情を出す」と「感情的になる」は必ずしも同じでないことを学べばいいのかもしれません。

この場合、むしろ、「感情的にならないために感情を出す」ということになります。

怒鳴り合いは子どもを怯えさせるかもしれません。でも、話し合いなら?

表題の「とげとげしい」というのは、感情を抑え込んでいても、そうなるのだから。



[ 分けて考える ]

感情的になりすぎないように、注意する。

でも、感情を出すことは悪いことではない。

要は、出し方。


たまに感情的になるのも、人間。

「いつも」と「たまに」の差を考える。



[ しないほうがいいこと ]

子どもを始終、敵意や憎しみ、争いや暴力にさらさない。

当り散らすなど、行動化しない。
(運動は、逆によい)


感情を溜め込まない、溜め込ませない。


[ したほうがいいこと ]

言葉で表現する。

感情が出てくるまで、待つ。


感情にも、子どもにも、正直になる。





子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫)






[ 魔法の言葉 ]

人間だから、誰だって感情的になりますよね。

そんな時は、魔法の言葉を。


それは、「ごめん」。





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   「(3) 不安な気持ちで育てると…」>>





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ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス 著、石井千春 訳。

「子どもが育つ魔法の言葉」より



「不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる」 (P52)



大人だって、生きていると怖い目に遭いますよね。子どもだって、同じです。あるいは、慣れてない分、大人よりは敏感かもしれない。

そして度々出てくる「たまにか? いつもか?」。いつも恐怖にさらされるなら、不安になったり、おどおどしたり、消極的になってしまう場合も。


時に大人は、子どもの恐怖をたわいも無いことだと笑ったり、ウソだとさえ言うことがあります。でも、人はウソで怯えるでしょうか? 笑ったり否定したりする前に、顔をよく見る方が大事なのかもしれません。

人間、見てみないと分からないし、聞いてみないと分からない。

ここでも、「どうしたの?」と聞くことが大切なようです。


またこの本では、子どもの言うことを聞き入れるのが甘やかしにはならないかとの危惧に対し、心配無用だと言っています。(P54)

前に書いたことを考えれば、まず、幼い頃に十分甘えることが、基本的信頼を築くことにつながります。

また、不安の正体が「あるはずのものが無い」ことだとすれば、自ずと答えは出そうです。


このように、甘え癖は、(特に幼い頃は)あまり考えないでよさそうです。それよりも、「不安癖」に注意したほうがよさそう。

身近な人が何度も不安を口にすると、それは「いつも」になります。遠く離れた人なら「たまに」ですが、身近な人は「いつも」に関わって来るのです。


といっても、今の時代、昔のようにはいきませんよね。様々な事件が起きているので、子どもの安全には気を遣います。

ただ、自由が無いと子どもも息が詰まるし、自主性や自立心の問題だってある。また、安全への意識が過剰になりすぎて、監視や抱え込み(締め付け)になれば、それはそれで問題が出てきますよね。

なので親や大人は、ここでも「場合場合」や「場合分け」について、考えねばならなくなります。

どこまで、ゆるされるのか? どんな場合にはよくて、どんな場合には危険なのか?

しても大丈夫なことと、してはいけないことのルール作りが、必要なのかもしれません。でないと、本来していいことまで、取り上げることになるから。


ただ、ルールも、細かすぎるとややこしいかも。親が先回りして「すること」まで決めてしまうと、「やる気」まで取り上げてしまうかもしれない。

本でも、「こうしなさい」と言うより、話を聞くことを勧めています。そうすれば自分で考え、やがて答えを出すから(P61)。ただし、聞くことは待つことで、けっこうたいへんなようです。

大人が不安だと、どうしても先回りしようとしてしまいます。それが過ぎると、「本当の気持ち」や「解決方法」、「したいこと」まで取り上げてしまうかもしれない。

なので、それが出てくるまで待つというのは、大切なようです。逆に、なかなか待てないというのは、大人が不安なのかも。


とはいえ、大人も子どもも、不安になります。それは避けられない。とすれば、不安を避けることはなく、要は、付き合い様なのかも。

不安にも2種類あって、流れるタイプの不安もあれば、溜まるタイプの不安もあります。

流れるタイプとは、例えば、慣れれば無くなってくる不安。これは時間が解決してくれます。心細い時に寄り添ってさえいれば、やがて慣れてきて、不安は消えてしまう。

一方、溜まるタイプの不安はこの逆です。時間が経てば経つほど、蓄積してしまう。これは前述の、「あるはずのものが無い」場合など。そんな時は、与えることを考えた方がいいかも。


大人だって、不安になります。大人の不安は、蓄積してくる不安が多いのかもしれません。慣れるくらいなら、とっくに慣れているだろうから。

不安は感情。とすれば、溜まったものは流すに限る。内にあるものを、外に出す。

その方法とは、不安を否定せず、何らかのカタチで表現すること。それによって、外に流し出し、溜まらないようにします。

また、そうすればやがて、答えだって出てくるかもしれない。



[ 分けて考える ]

幼い頃の甘えと、成長してからの甘えを、混同しない。

子どもの頃十分に甘えた子こそ、卒業すると考える。

逆に、幼い頃の甘えが足りないと、大人になってからツケを支払うことになる場合も。


子どもの安全を守るため、最低限のルールは決める。

ただし、細かいところまでは口を出さない。



[ しないほうがいいこと ]

不安を笑ったり、ウソだと決めつけない。

先回りして、気持ちや答えまで奪わない。


[ したほうがいいこと ]

不安であることを認める。

甘えは我慢させるより、満たさせる方が卒業が早いと考える。

必要なら、寄り添う。

できれば十分に聞いて、何か出てくるまで待つ。


大人が自身の不安に向き合うことが、自身の、そして子どもの、不安解消につながる。





子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫)






[ 甘え? ]

大人でも甘える場合がありますが、それは厳しさが足りないというより、幼い頃満たされなかったツケがきていることがあります。

甘えが愛情や信頼への要求だとすれば、それが渇望なのか? それとも過度の要求なのか? それも考えたいところです。

さらにこれが人間の根本に関係する欲求ならば、それはまるで食欲や睡眠欲に近いものだろうから、我慢にも限界があるのでしょう。

飢えていれば欲しくなるし、多すぎれば拒否反応も出る。

ごはんを食べているから、ごはんを我慢できる。

そして時々、自我はそれを間違える。

(というのは、思考の癖で、「(飢えているのに)飢えていない」とか、反対に「(あまり欲しくないのに)欲している」とかと、思い込むことがある)

(あるいは、相手を間違える)





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   「(04) かわいそうな子だと言って育てると…」>>





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「子どもが育つ魔法の言葉」より



「『かわいそうな子だ』と言って育てると、子どもは、みじめな気持になる」 (P65)



「みじめ」とは、見てられないほど憐れ(あわれ)なこと。

「かわいそう」とは、不憫(ふびん)に思ったり、同情したりすること。


でも、誰が思うの?


赤ちゃんは生まれた時、真っ白だから、いろんなことを教わり、成長していきます。

あれは山、これは海、あそこにあるのが川で、あそこに見えるのが空、など。

知らないものを、教えられる。

それと同じように、「あなたはかわいそう」だと教えられたら?


頑張る子は、「ぼくはやれる」「わたしはやればできる」、そういうことを知っています。何らかの成功体験を糧に、多少不安でもやる気を起こし、前に進もうとする。

でも、その代わりに、「ぼくはかわいそう」「わたしはかわいそう」、そういう気持ちがあったら?

やる気なんて、起きるでしょうか?


人間の感情は、反応だという。

きれいなものを見れば、それに見合った感情が生じます。また、嫌なものを見れば、それに見合った感情が生じる。

同じように、「自分はかわいそう」だと思えば思うほど、それに見合った気分になるものなのです。

だから、うつ症状の治療などでは、思い込みと実際のギャップを修正していくとか、小さな成功体験を認識していくとか、その過程で体を動かすとか、そういうこともやるようです。(一概にどうとは言えませんが)


繰り返しになりますが、赤ちゃんは真っ白だから、まず身近な大人から学んでいきます。そして特に幼い頃は、あまり疑いません。よいものだと教えられればよいものだと思うし、悪いものだと教えられれば悪いものだと思う。検証したり考えたりはせずに、まずは信じて受け入れ、学ぶのです。

このような状態で、「あなたはかわいそうな子」「おまえは何もできない」「あなたはきれいじゃない」、そんなことを言われたら、どう思うか。

成長したら反発するようなことでも、子どもが幼ければ幼いほど、信じてしまいます。また、繰り返されれば、なおさらでしょう。

大人はたいしたことないと思うかもしれません。実際、「大人にとって」は、大したことないのでしょう。

でも、子どもなら?


「同情」とは、その人の身の上になって考えること。特に、不幸や苦悩を、まるで自分のことのように思いやること。

でも、これ、自分の気持ちですよね。相手の身になって考えるわけですが、それを確認するわけではなく、むしろ自分の奥底から湧いてくるもの。

これを誤認して、「自分の気持ち」と「相手の気持ち」をまったく同じにされると、困るかもしれない。

同情は一般に美しいものとされますが、事実誤認に基づいた同情となると、また違ってきそうです。


また、「相手のためを思って」というのも難しくて、「思ったこと」と「実際」がどうなるかも分かりません。思った通りにはならなかったとか、思っていたのとは違っていたとか、そういうことは多々あるようです。


「あなたはかわいそう」、この言葉は同情からきているのかもしれませんが、それは「あなたはみんなとは違う」ということに、つながる可能性もある。

確かに、ある部分は違うかもしれない。でも、他の部分は同じ。そんな場合でも、「あなたはかわいそう」と言い続けられたら、他の同じ部分までまるで違うかのように思いこんでしまうことも。


同情は相手の身になって考えることですが、その考えが独りよがりになることもあります。イメージと現実の間に大きなギャップが生じることが、あるのです。

本では、「同情するのではなく、一緒に考える」ことをすすめています。

親が答えを与えるのではなく、話を聞いて、答えが出るまで待つ。

それによって、子どもは自分で解決する力をつけると。

そしてそれには、親が子どもを信じることが大切なようです。



[ 分けて考える ]

たった一つのことが、人間全部を包み込んでしまうのだろうか?

何かが無いことは、すべてが無いのと同じだろうか?

持っているものは、何だろう?


相手の気持ちなのか? 自分の気持ちなのか?



[ しないほうがいいこと ]

「かわいそう」だと決めつけない。
「できない子」だと決めつけない。

マイナスイメージのループに陥らない、陥らせない。

相手の気持ちまで決めない。

同情して、できることまで奪わない。


[ したほうがいいこと ]

子の手本になることを考える。
子どもを信じる。

(マイナス思考に陥ったら)気分転換に体を動かす。
(ただし、可能なら)

相手の気持ちを決める前に、自分の気持ちに気づく。

どうすればチャレンジする気になるか、説教するのではなく、一緒に考える。


成功体験の積み重ねが、やる気につながる。

同情するのではなく、一緒に考える。





子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫)






[ 教育 ]

こういうことを考えると、教育って大切だし、同時に恐ろしいですよね。

何かを悪いと教えれば、子どもは悪いのかなと信じ、それを前提とする。

何かをかわいそうだと教えれば、かわいそうなんだと信じ、それも前提にする。

いちいち調べたり検証したりしないで、そういうものだと学んでしまいます。


悪いものだと教える前に、それは本当なのか確かめないとね。

そうでないと、悪くないものを悪いと決めつけ流布するという、とんでもないことが行われてしまう。


ああ、やだやだ…





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   「(05) 子どもを馬鹿にすると…」>>





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「子どもが育つ魔法の言葉」より



「子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる…」 (P79)



子どもはバカにされると、どうしていいのか分からなくなるという。

我慢すればいいのか? 避ければいいのか? そんなジレンマの中でじっとしていると、バカにされるという行為にずっと晒されることに。あまりにそれが続くと、頭の中が真っ白になるかもしれません。

すると、おどおどするようになったり、目立たないように隠れる癖がつくことも。生まれ持った性格とは別に、引っ込み思案になってしまいます。

本によれば、おとなしい性格というのは、人と親しくなるのに時間がかかること。

上の例はそうではなくて、バカにされるのが嫌で、人と接するのをやめてしまうことです。


安心が人間の基盤になることは、既に学びましたよね。

バカにされるというのは、その反対です。

人間の生きていこうとする意志や、大丈夫だという安心感、そんな目には見えないけど大事なことを破壊する行為です。

時にそれを些細なことだと言う人が出るかもしれませんが、些細なことも「いつも」であれば、それは相当なものになります。蓄積する。

「いつも」というのは、そんな恐ろしい作用を持っているのです。


我々はよく からかい合いますが、それがどういうものか、どんな関係の中で出ているものか、時には考えたいものです。

仲のいい同士が互いにからかい合い、笑う。これは問題ありませんよね。どちらも悪い気はしてません。

けど、一方的に嘲笑するとか、みんなで囲んであざ笑うとか、こうなるとまた別。心が汚い、ひどい行為になってしまいます。

こういう場合分けも、成長と共に学びたいものです。まずは大人が、ですが。


例えば、ひっかき傷。こういうのはだいたい、放っておけば治ります。

でも、同じところをずっとひっかいていると、どうなるでしょう? 治るものも、治らなくなるかもしれません。

バカにするという行為も、これと同じです。

毎日毎日バカにされれば、一度なら大したことないようなことでも、繰り返されるうちに、とんでもないことになります。本来なら癒されるものも、なかなか癒されない。

だから、「どう守るか?」というのも、大切になるようです。放っておけばたいへんなことになるわけだから。

そして、バカにしている方も安全ではありません。なぜなら、加害者になるから。


身近な大人が、子どもをからかうこともありますよね。

でも、これも要注意。

「いつも」は、怖ろしいです。


やる気は、成功体験の積み重ねです。

小さな失敗を毎度毎度 笑われたなら、やる気なんて起きませんよね。

何事も続けないことには向上しないわけだから、続けるだけのやる気を持つことは、すごく大切です。

なので、からかうとか、バカにするとか、笑うとか、けなすとか、それを「いつも」やるのは要注意。


実際問題ということを考えると、自尊心をまったく傷つけられずに社会で暮らすことは、不可能に近いのでしょう。なぜなら、みんなして、互いに傷つけ合うからです。みんな、加害者であり、被害者でもある。しかも、それをやめようとはしません。

なので、避難場所が必要になります。

安心できる場所、ホッとできる場所、くつろげて、嫌なことを忘れられる場所。

そんな時間が、傷を癒してくれます。

それが本来、どこであるべきか、それは分かりますよね。

なので、その逆はしないことです。

癒しの場所が、危険な場所や傷つける場所にならないように。

また、安心できる場所を、わざわざ取り上げないように。


「ちょっと」でも、それが「いつも」なら、とんでもないことになります。



[ 分けて考える ]

小さなことも、それが「いつも」なら、大きなことになる。

みんながすると、さらに大きくなる。


良好な関係の中のからかい合いなのか?

それとも単にけなしているだけなのか?

追い詰めてはいないか?



[ しないほうがいいこと ]

馬鹿にしたり、笑ったりしない。

相手が傷つく場合は、特に。


過ぎた指導で、やる気をそがない。

ダメだしし過ぎて、委縮させない。

(やればうまくなるけど、やらないとうまくならない)


安心できる場所を、取り上げない。


[ したほうがいいこと ]

相手の気持ちを決めつけずに、最後まで話を聞く。


心から安心できる場所があるように配慮する。

自分がいていいんだ、自分でいていいんだという、そんな空間を。





子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫)






[ 保護された空間 ]

こう考えると、逃げ場所というのは大事ですね。

時に大人は子どもが逃げるのを気に食わなく思ったりしますが、それは逃げたくなるほど追いつめてるのだったりして。

相手の顔と、自分の顔。

両方を時々確認するのも、いいかも。





<<「(04) かわいそうな子だと言って育てると…」
   「(06) 親が他人を羨んでばかりいると…」>>





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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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