ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 

【うつ】【鬱】【欝】

心が晴れ晴れしないこと。気がふさぐこと。憂鬱。
(「大辞泉」より)

心にわだかまりがあって、気持ちの晴れ晴れしないこと。ゆううつ。
(「大辞林」より)


【うつ病】【鬱病】

精神障害の一種。気がめいって気力が出ず、劣等感・不安・厭世(えんせい)的気分・絶望感などにとらえられる。躁鬱(そううつ)病の鬱状態として現れる場合と、単独で現れる場合とがある。抑鬱症。
(「大辞泉」より)

気分の抑鬱、意欲や生命感の低下など鬱状態を特徴とする精神障害。躁鬱病のうちの鬱病相をさすことが多いが、ほかに心理的原因による反応性鬱病、中毒や脳病変による鬱病など広い範囲のものを含む。鬱憂症。抑鬱症。
(「大辞林」より)






国民病とも呼ばれるうつ病。

そのうつ病に対する誤解を解くため、ダイヤモンドオンラインで、精神科医の泉谷閑示さんが、『8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 』というシリーズを連載されています。(リンクは↓下記)


『バックナンバー | 8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 | ダイヤモンド・オンライン』


そこで言われているのが、

・決して心の弱い人がうつになるわけではないということ。
・精神論や精神力で、どうこうなるものではないということ。


詳細は上記リンク先を読んでいただければと思いますが、そこでは人間を「頭」「心」「身体」の三つに分けて解説してくれています。そして、うつの状態とは、「頭」に対する、「心」と「身体」のストライキであると、説明してくれています。



少し見方を変えて、ここでは人間を馬車に例えましょうか。馬がいて、馬車につながれていて、手綱を持つ御者がいる。これをひとりの人間として考えます。(単体としての馬車と、馬と御者と馬車をひっくるめた総体としての馬車があるのでややこしいですが、総体としての馬車を人間に例えます)

インド哲学の古典では、5頭の馬(=五感、感情、欲望)、手綱(=思考器官)、御者(=知性、理性)、馬車(=肉体)と定義しています。そして、その馬車には車主として「真我」が乗っているのですが、それはまたの話にします。

これを参考にして、馬を「心」、馬車を「肉体」、手綱を持った御者を「頭」とします。そのすべてをひっくるめて、ひとりの人間になります。


うつ病の状態とは、ひとつに、御者が馬を鞭打ちすぎて、馬や馬車が動かなくなった状態といえましょうか。(多くある内のひとつのケースとして、ですけど)



はじめ、御者は馬と馬車を使い、うまい具合に仕事をしました。

荷物をスピーディーに運び、それを褒められ、評価もされました。

お金だって、入ってきます。これで豊かな暮らしだってできるし、家族だって養えます。

それが自信にもなるでしょう。


御者はその仕事に邁進しました。

馬を走らせ、荷物を運び、人々に喜ばれました。

喜ばれると共に、お金も入り、ホクホクです。

それを喜ぶ家族の顔もありました。


御者はどうしたら効率的に儲けられるか考え、その通りに馬を操って、馬車を走らせました。

順調に、一生懸命走らせました。

ところがどうでしょう、ある日、馬は以前ほど速く走らなくなりました。

これはおかしいと、御者は鞭を打ちます。

今まではできていた、できないのはおかしい、そう思って鞭を打ちました。

オレの馬車はこんなもんではない。そう思い、鞭を打ち続けました。


そしてある日のこと、馬はとうとう走らなくなってしまいました。

走るどころか、へたり込んで、立ち上がろうともしないのです。



お分かりいただけましたでしょうか?


ここでは、御者は命令系統です。人間でいうと、「頭」ですね。

「こうしよう」「こうあるべき」「こうしなければ」「できるはずだ」と考えたり、指示を出したりします。

そして、命令系統なだけあって、「馬=心」や「馬車=身体」をコントロールしようとする。


しかし、馬は必ずしも人間と同じようには思いません。むしろ、別のように思ったりする。「疲れた」「お腹が空いた」「あっちに行きたい」「もっと速く走りたい」「今は走りたくない」などと感じるかもしれません。それを御者は、手綱などを使って、走らせるんですね。

これは心も同じで、頭の方は「すべきだ」「こうあるべきだ」「できるはずだ」と思っていても、それとは別のことを主張しているかもしれません。もともと、心と頭とは別系統であり、いつも同じだと思うのは、頭の方の思い込みなのです。



頭はそれを知ってか知らずか、心が自分と同じ考えだと思い込み、心と身体を同志としてコントロールしようとします。また、心と身体の方も、それに従います。

ところが、そんな状態がずっと続くと、さすがに心と身体の方がまいってくる。

それもそのはず、もともと好きでやっているのではありません。頭の命令でやっているのです。やればやるほど、ストレスがたまる。身体にも負担が蓄積します。

そしてある日、「もう無理です!」と、頭との関係を絶ってしまう。


ところが頭は、そんな事情は知りません。同じものとして一緒に頑張っていたものが、急に言うことを聞かなくなる。それに驚いてしまいます。

「何故?」「今まで大丈夫だったのに」「うまくいっていたのに」

そう、うまくいっていました。しかし、それは心と身体の我慢の上に成り立っていたのです。

もともと違う、頭と心や身体。ひとりの人間の総体としては同じですが、求めるものは必ずしも同じではない。勝ちすぎた頭が心と身体に目を向けなかったため、こんなことになってしまいました。



ここでもう一度、最初の言葉を思い出してみましょうか。


・決して心の弱い人がうつになるわけではないということ。
・精神論や精神力で、どうこうなるものではないということ。


ここでいう心とは、むしろ、頭のことです。~しようとする精神。心や身体の要求に打ち勝とうとする精神。

しかし、頭の~しようとする精神が強すぎて、心と身体が「もう無理です」と拒絶するわけですから、そこに精神論を持ち出すのは、逆効果ですね。ヘトヘトの人に頑張れと言うぐらい、無茶です。


それと、気づきましたか?

ここに書いたのはひとりの人間の話として書きましたが、ひとつの集まりとしても、同じようなこと が言えることを…





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明日は、「困ったやつだが、意味あるやつ」を…





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「病気が教えてくれること」
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うつ病になると、誰もが困るでしょう。

身動きが取れなくなったり、不安になったり、何も食べる気がしなくなったり、眠れなくなったり。心は晴れず、将来を悲観してしまう。

身に起こることを考えれば、本当に困りものです。「うつは心の風邪」と言いますが、誰もが罹り得るという意味ではそうでも、その症状のたいへんさを考えると、風邪とは比べ物にはなりません。2、3日寝れば治るというものでもないですし。



前回、うつの症状を馬車に例えてみました。

あの状態も、「頭」にとってはとても困った状態。今までしていたことが、できなくなります。今まで褒められ、自らも少なからず誇りに思っていたこと、それができなくなる。

しかし、少し離れた第三者から見たら、どうでしょう?


ある人は、「あのままだと馬は死んじゃってたよ」と言うかもしれません。

「頭」は、「これでは仕事ができない。一家離散で死ぬしかないのか」と嘆いたかもしれませんが、別の視点から見れば、必ずしもそうではないのです。

あのままではきっと、馬が疲労で死んでしまったり、馬車がストレスで壊れていたかもしれない。しかし、馬がへたったおかげで、それに気づくことができた。馬さえ回復したら、仕事はできる。その間に、馬車の手入れをすることだってできる。

そういう考え方もあります。

何が本当に困ることなのかは意外とシンプルですが、それでもちょっと立ち止まらないと、分からない時もあります。

「あれ?」と思えば分かることも、「あれ?」と思わない限り分からなかったりするんです。



御者(頭)にとって、一番に望むことは何だったのでしょうか?

それは家族を養うことかもしれません。家族と幸せに暮らすことかもしれません。あるいは、人に喜ばれることかもしれません。馬車を使って望まれる仕事をし、感謝されることかもしれません。また、休日に好きなことをすることかもしれません。平日に十分働き、その分、余暇に好きなことをするのです。

御者にとって一番望むことが何かは分かりませんが、上記のようなものだとすると、馬や馬車という存在は欠かせないものとなりそうです。

だからこそ、馬がへたった時、御者は頭を抱えました。

しかし、馬がそのままへたらずに走り続けたなら、馬はきっと死んでいたでしょう。馬車だって、不具合を起こして大破したかもしれません。それに巻き込まれて、御者も死んでいたかもしれません。

そうすると、実は、馬がへたったことで、御者や家族は、救われたのかもしれません。



人間万事、塞翁が馬。

何がいいことで何が悪いことかなんて、後にならないと分からないものです。



【塞翁が馬】

人間の禍福は変転し定まりないものだというたとえ。人間万事塞翁が馬。

〔補説〕 「淮南子(人間訓)」から。昔、塞翁の馬が隣国に逃げてしまったが、名馬を連れて帰ってきた。老人の子がその馬に乗っていて落馬し足を折ったが、おかげで隣国との戦乱の際にも兵役をまぬがれて無事であったという話から

(「大辞林」より)





さて、ところで、仮に馬が回復した時、御者はどうするべきでしょうか?

今までと同じように、邁進すべきでしょうか?

それとも…





「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義
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続きは…

<<「馬と馬車と御者/うつ病(1)」





【参考記事】
『「ウツ」を“心の風邪”と喩えることの落とし穴 | 8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 | ダイヤモンド・オンライン』



【関連記事】
「あなたは大丈夫/エニアグラム」
「感情――いいんです」




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うつ、うつ病に関する記事の目次――



■01. 「馬と馬車と御者」
 →一心同体、同じで違う?

■02. 「困ったやつだが、意味あるやつ」
 →困るけど、助かる?

■03. 「見えない馬」
 →見えない馬を抱いて…

■04. 「馬と御者は同じではない」
 →同じ中にいる、違った存在…

■05. 「すべきだの弊害」
 →あれも本当、これも本当…

■06. 「馬の気持ち」
 →馬が自分で動くまで…

■07. 「タガを外す」
 →締めて、緩めて…

■08. 「馬は誰のもの?」
 →所有者と所有物?

■09. 「感情は制御できる?」
 →出すものは出さないと

■10. 「馬の原則、御者の原則、見るということ」
 →馬は反応する

■11. 「心に偽装する頭」
 →それは気持ち? それとも…

■12. 「完璧な馬」
 →完璧な馬を求めて…

■13. 「ロッテンマイヤーさんの頭、ハイジの心」
 →カタイ頭、自由な心…

■14. 「馬は勝手に走り出す」
 →自然な状態にありさえすれば…

■15. 「馬は勝手に走り出す(2)」
 →走りたいと思ったら走り出す…

■16. 「治らない不安・治る時の不安(1)」
 →生まれた子馬、急がせる?

■17. 「治らない不安・治る時の不安(2)」
 →馴染む時間…

■18. 「死にたいという気持ち」
 →その意味するところは?

■19. 「うつになりやすい性格-1」
 →頭と心の関係も…

■20. 「うつになりやすい性格-2」
 →人の目を気にしてしまう性格と、ペルソナ…

■21. 「相手との関係」
 →人と人との関係の中で…

■22. 「性格は変えられる?」
 →資質と性格、出発点とその先…

■23. 「虐待された馬」
 →うつ病という悲鳴…

■24. 「私たちの中の小さい子(1)」
 →同じ中にいて、でも、感じ方は違う…

■25. 「私たちの中の小さい子(2)」
 →幼い子が起きだす時…



「うつ症状とホルモンバランス/更年期障害 LOH症候群」




「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義
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まあ、ぼちぼちと…





【関連記事】
「エニアグラムの目次」
「タイプ論の目次/ユング心理学」

「心理・教育のアーカイブ」




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さて、ここでは人間全体を馬車にたとえ、馬を心、馬車部を肉体、御者を頭と、表現しました。

前回、前々回と書いたのは、馬がへたった状態です。それも鞭打ちすぎたことによる疲労を原因としました。

うつ病というのは、ある意味では、頭と心の関係がうまくいっていない状態。「頭 vs 心と身体」のバランスが不自然になっている状態といえるでしょうか。

馬がへたっているのに、しきりに御者が走れ走れと命令している。こういうのは、馬車を例にとると、割合、分かりやすいですよね。馬がへたっているのが目に見えますから。全体像を把握することができます。

でも、心という馬は、目に見えません。だから、ややこしい。

目には見えないけれど、負担に感じてる。目には見えないけれど、疲れている。目には見えないけれど、もう無理だと言っている。

そして、目に見えないから、頭(意識)には理解できない。周囲にも理解できない。違和感は感じても、うまく把握できません。見えないんだから、しょうがないですよね。



ところで、前回までは、馬に肉体的な無理をさせすぎた例を示しました。けれど、無理をさせるのは、肉体的なものだけとは限りません。心というくらいですから、精神的な無理もあるでしょう。


心をくじかれるような経験をしたことはありますか?

そのカタチは人それぞれだと思いますが、そういうことってありますよね。

で、心をくじかれる経験を度々すると、精神的に無理が来そうです。大きな経験はもちろんのこと、たとえ小さな経験でも、それが積もり積もれば、大きな負担になったりする(←この辺のことは火曜日に記事にしようと思っています)。意識は忘れても、心のほうで疲労なり、やり切れなさなりが、蓄積するかもしれません。

「ああ、ああ」や「あ~あ、あ~あ」が積み重なり、ものすごい負担になっていたりする。



実は、頭の方には保護装置があって、あまりにも負担が大きいものは見ないようにします。忘れたり、意識に上らないようにしたり、同じ目線になることで見ないようにしたり、いろいろな方法で、負担になることをシャットアウトします。実際には起こっている、でも、意識はしない、そういう保護をされる。そうやって守られるのです。

けれど、これは頭のほうのこと。頭は無視しても、心のほうは感じています。頭は忘れても、心の方は知っていたりします。頭は考えるものだから、意識しなければそれで済むかもしれません。でも、心は感じるものだから、意識しなくても感じ、受け取ってしまうのです。

こういうことでも、馬=心は、へたってしまうんですね。倒れそうになってしまいます。頭は保護されても、心は負担を感じたり、傷ついてしまうのです。それだけの経験があったりする。

この時、頭には保護装置が働いていて、原因となるものがシャットアウトされていますが、意識しようがしまいが心はそれを感じています。いつも心をくじかれ、やるせなさを蓄積させているのです。



あと、これはコンプレックスのところで別に書こうと思っていますが、人間というのはいろんなことをごっちゃにしてしまうところがあります。特に、コンプレックスに関する部分、心的な負担が大きくなる部分では、その傾向が強い。

例えば、誰かからすごい負担になることを度々されている場合、それを認識することはたいへんで、そうすると意識が壊れてしまうことになりそうなので、それを見ないように保護装置が働きます。

ところが、度々あるだけあって、心的負担は溜まる。意識は見なくても、心は感じる。しかも、何らかの「それ」を認識することが妨げられているので、例えば、それが属するカテゴリみたいなものが、仮の対象になったりする。認識する対象が、少しズレるんですね。ぼやかされる。

つまり、「それそのもの」ではなく、この場合、それが属する「カテゴリ」が、怖れや怒りの対象となります。(例えば、ですが)

こんな時も、特定のカテゴリに怒りを覚えるとか、特定の場所に行けないとか、特定のカテゴリを前にするとなんともいえない気持ちになるとか、そういうことが起こるのです。

で、そんな状況に置かれると、御者(頭)は意識しませんが、馬(心)だけが暴れる。時には逃げたり、動けなくなったり、ビクビクしたり、噛み付きそうになったり、そんなことになってしまう。

こういうのは御者にとっては不可解なことですが、御者は見てなくても、馬は感じ、受け取っているんですね。そして人間のメカニズムにより混同のようなものが生じ、何かのカテゴリに対し、怒りを覚えたり、怖れを感じたり、よく分からない感情に振り回される。馬が御者の制御を振り切り、暴れてしまう。

こういうことが起こるのです。コンプレックスに苦しむ状況というのは、ひとつの例えとしては、こういう状態なのです。



馬が心底疲れている場合は、休ませるのが最良の治療となるでしょう。しかし、今回述べたような状態に馬がある時、休ませるのはもちろん大事ですが、それだけではすべてが解決しませんよね。

いろいろ見方を変えていかないといけない。必要なことも違ってくる。

まず休む、そして、それからも鍵になってくる。


こういうことが、うつ病にもいえるようです…





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「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)





馬をどうケアするか…

どう理解し、大丈夫だと抱いてあげられるか…


誰かが悪いってこともなくて、それは人間に備わったメカニズムによるもの。

ただ、倒れた馬をどう労わるか…





続きは、来週に…


<<「困ったやつだが、意味あるやつ/うつ病(2)」



「シリーズ うつ病の目次」





【参考記事】
『遊びには行けても、会社には行けない――これは本当に「ウツ」なのか?』



【関連記事】
「なるようにしかならないよ」




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これまで、「馬」を「心」、「御者」を「頭」、「馬車」を「肉体」に例えてきました。馬車につながれた馬が、御者の手綱によって動いている様子、そういった全体としての馬車を、ひとりの人間として例えているわけです。(ここに馬主が加わるのですが、それは後の話で)

このような状態を考えた時、馬と御者が同じでないことがお分かりいただけるでしょうか。これらはすべてをひっくるめた馬車としては一体ですが、御者の思うことと、馬の感じることは、同じではありませんよね。

御者が「まだやれる」と思っている時、馬は「疲れた」と感じているかもしれません。御者が「まだまだ」と思っている時、馬は「もう無理」と感じているかもしれません。御者が「たいしたことない」と思っている時も、馬はけっこうなダメージを受けているかもしれません。

このように、御者が思うことと、馬が感じることは、必ずしも同じではないのです。

こういうことが、頭と心との関係にもいえるんですね。



我々は、「頭」、「心」、「肉体」、その他もろもろを含めて、一人の人間として存在しています。主体性を持った、この世に生きるたった一人の人間。

けれど、頭が考えることと、心が感じることは、同じとは限らなかったりします。頭で意識している肉体の感覚と、肉体そのものが受け取っているものも、同じとは限らないようです。

「頭で考える以上に」とか、「頭が意識する以上に」とか、そういうものを心や肉体が受け取っていることもあるようです。

でも、そういうことを忘れがちだったりするんですよね。総体としての人間として考えるために、そういうものを見逃してしまったりする。一心同体、それを優先しすぎて、それぞれの心や身体というものを、時に無視してしまう。

頭はそう思うだろう、でも、心が受け取るものは…

頭はそう受け取っている、でも、身体が受け取っているのは…

そういうことを忘れがちなんです。



こう考えると、御者と馬との付き合い方って、難しいですよね。同じ言葉で話せるわけでもなし、聞いたら答えてくれるわけでもない。

でも、付き合いの長い人は、馬の目を見たり、全体の様子を見たり、あるいは毛並みや便からも、察するところはあるかもしれません。言葉は話せない、でも、何かしら通じるものがある。伝わるものがある。

これが人間の頭と心との関係にもいえるんでしょう。


心は頭(意識)と同じように言語で話してくれません。聞いても(人間が答えるようには)答えてくれない。

ただ、どこからか、察するところはありますよね。通じるもの、伝わるものがあったりする。「そのもの」は分かりませんが、「そのもの」につながった、何かが表面に出てきたりする。伝わってくる。

実は夢なんかもこういうのに当たるのですが、それはまた別の話で。



しかし、御者の考えるところと馬の感じているところは違うというのは、心に留めておいたほうがよさそう。時々は思い出したほうがよさそうです。これって、当たり前といえば当たり前なんだけど、忘れがちですよね。

あと、分かった気になるのも、危ないのかな。例えば、馬が疲弊していることが分かっても、馬が何を望んでいるかまでは分かっていないかもしれない。

御者がしっかり眠らせ休ませねばと、無理して眠らせようとしても、馬は別のことを望んでいるかもしれません。まず眠るにしても、その次には食べることがあるかもしれない。ひょっとしたら、好きに走り回りたいのかもしれない。御者には思いつかないようなことを、望んでいる場合もあるでしょう。

そもそも、御者に振り回されるのに、うんざりしているのかもしれない。

「しっかり休もう」、それは大事だとしても、その休み方や、休んだ先にあるものは、御者と馬との間では、ギャップがあるかもしれません。それぞれの思うところ、感じるところは、同じとは限りませんから。

ひとつの馬車全体としては同じ。でも、御者と馬は同じではない。同じで違う。全体としては同じ。個としては別。御者と馬、頭と心。



頭って考えることができる素晴らしいものなのですが、その一方で上記のように、何でも決め付けたがるものでもあるんです。特に、一心同体である心の感じるところを、頭の価値観で決め付けてしまうことが多いようですね。

また、これは一心同体的な集団にもいえ、そのトップや頭脳は時に、集団の構成者の心が感じるところを、自分の頭の考えることと、同じにしてしまうことがあるのかもしれません。あるいは、集団の構成者の頭も、自身の心の感じるところを無視したり、勘違いしてしまうことも、ありそう。


同じ集まり、その中の違った存在。

更にその中にある、心…





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スヌーピーたちの心の相談室〈2〉「いい子」をやめる法 (講談社プラスアルファ文庫)





人間も集団も、その中に多様性を包含しているようです。

同じ中にいるけど違う存在。

言葉ではやり取りできないもの。

そこにどうやって手を伸ばすか…





続きは、来週を予定…



「シリーズ うつ病の目次」





【参考記事】
『バックナンバー | 8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 | ダイヤモンド・オンライン』



【関連記事】
「二つの目/世界を狭めないために」
「ほんに理解は難しい」




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