【うつ】【鬱】【欝】
心が晴れ晴れしないこと。気がふさぐこと。憂鬱。
(「大辞泉」より)
心にわだかまりがあって、気持ちの晴れ晴れしないこと。ゆううつ。
(「大辞林」より)
【うつ病】【鬱病】
精神障害の一種。気がめいって気力が出ず、劣等感・不安・厭世(えんせい)的気分・絶望感などにとらえられる。躁鬱(そううつ)病の鬱状態として現れる場合と、単独で現れる場合とがある。抑鬱症。
(「大辞泉」より)
気分の抑鬱、意欲や生命感の低下など鬱状態を特徴とする精神障害。躁鬱病のうちの鬱病相をさすことが多いが、ほかに心理的原因による反応性鬱病、中毒や脳病変による鬱病など広い範囲のものを含む。鬱憂症。抑鬱症。
(「大辞林」より)
◇
国民病とも呼ばれるうつ病。
そのうつ病に対する誤解を解くため、ダイヤモンドオンラインで、精神科医の泉谷閑示さんが、
『8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 』というシリーズを連載されています。(リンクは↓下記)
『バックナンバー | 8人に1人が苦しんでいる!「うつ」にまつわる24の誤解 | ダイヤモンド・オンライン』そこで言われているのが、
・決して心の弱い人がうつになるわけではないということ。
・精神論や精神力で、どうこうなるものではないということ。
詳細は上記リンク先を読んでいただければと思いますが、そこでは人間を「頭」「心」「身体」の三つに分けて解説してくれています。そして、うつの状態とは、「頭」に対する、「心」と「身体」のストライキであると、説明してくれています。
☆
少し見方を変えて、ここでは人間を馬車に例えましょうか。馬がいて、馬車につながれていて、手綱を持つ御者がいる。これをひとりの人間として考えます。(単体としての馬車と、馬と御者と馬車をひっくるめた総体としての馬車があるのでややこしいですが、総体としての馬車を人間に例えます)
インド哲学の古典では、5頭の馬(=五感、感情、欲望)、手綱(=思考器官)、御者(=知性、理性)、馬車(=肉体)と定義しています。そして、その馬車には車主として「真我」が乗っているのですが、それはまたの話にします。
これを参考にして、馬を「心」、馬車を「肉体」、手綱を持った御者を「頭」とします。そのすべてをひっくるめて、ひとりの人間になります。
うつ病の状態とは、ひとつに、御者が馬を鞭打ちすぎて、馬や馬車が動かなくなった状態といえましょうか。(多くある内のひとつのケースとして、ですけど)
☆
はじめ、御者は馬と馬車を使い、うまい具合に仕事をしました。
荷物をスピーディーに運び、それを褒められ、評価もされました。
お金だって、入ってきます。これで豊かな暮らしだってできるし、家族だって養えます。
それが自信にもなるでしょう。
御者はその仕事に邁進しました。
馬を走らせ、荷物を運び、人々に喜ばれました。
喜ばれると共に、お金も入り、ホクホクです。
それを喜ぶ家族の顔もありました。
御者はどうしたら効率的に儲けられるか考え、その通りに馬を操って、馬車を走らせました。
順調に、一生懸命走らせました。
ところがどうでしょう、ある日、馬は以前ほど速く走らなくなりました。
これはおかしいと、御者は鞭を打ちます。
今まではできていた、できないのはおかしい、そう思って鞭を打ちました。
オレの馬車はこんなもんではない。そう思い、鞭を打ち続けました。
そしてある日のこと、馬はとうとう走らなくなってしまいました。
走るどころか、へたり込んで、立ち上がろうともしないのです。
☆
お分かりいただけましたでしょうか?
ここでは、御者は命令系統です。人間でいうと、「頭」ですね。
「こうしよう」「こうあるべき」「こうしなければ」「できるはずだ」と考えたり、指示を出したりします。
そして、命令系統なだけあって、「馬=心」や「馬車=身体」をコントロールしようとする。
しかし、馬は必ずしも人間と同じようには思いません。むしろ、別のように思ったりする。「疲れた」「お腹が空いた」「あっちに行きたい」「もっと速く走りたい」「今は走りたくない」などと感じるかもしれません。それを御者は、手綱などを使って、走らせるんですね。
これは心も同じで、頭の方は「すべきだ」「こうあるべきだ」「できるはずだ」と思っていても、それとは別のことを主張しているかもしれません。もともと、心と頭とは別系統であり、いつも同じだと思うのは、頭の方の思い込みなのです。
☆
頭はそれを知ってか知らずか、心が自分と同じ考えだと思い込み、心と身体を同志としてコントロールしようとします。また、心と身体の方も、それに従います。
ところが、そんな状態がずっと続くと、さすがに心と身体の方がまいってくる。
それもそのはず、もともと好きでやっているのではありません。頭の命令でやっているのです。やればやるほど、ストレスがたまる。身体にも負担が蓄積します。
そしてある日、「もう無理です!」と、頭との関係を絶ってしまう。
ところが頭は、そんな事情は知りません。同じものとして一緒に頑張っていたものが、急に言うことを聞かなくなる。それに驚いてしまいます。
「何故?」「今まで大丈夫だったのに」「うまくいっていたのに」
そう、うまくいっていました。しかし、それは心と身体の我慢の上に成り立っていたのです。
もともと違う、頭と心や身体。ひとりの人間の総体としては同じですが、求めるものは必ずしも同じではない。勝ちすぎた頭が心と身体に目を向けなかったため、こんなことになってしまいました。
☆
ここでもう一度、最初の言葉を思い出してみましょうか。
・決して心の弱い人がうつになるわけではないということ。
・精神論や精神力で、どうこうなるものではないということ。
ここでいう心とは、むしろ、頭のことです。~しようとする精神。心や身体の要求に打ち勝とうとする精神。
しかし、頭の~しようとする精神が強すぎて、心と身体が「もう無理です」と拒絶するわけですから、そこに精神論を持ち出すのは、逆効果ですね。ヘトヘトの人に頑張れと言うぐらい、無茶です。
それと、気づきましたか?
ここに書いたのはひとりの人間の話として書きましたが、ひとつの集まりとしても、
同じようなこと が言えることを…
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