ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
ユングのタイプ論についての記事――

毎週、火曜と水曜に掲載予定です。



「はじめに/タイプ論(1)」(08/11/04)
 →わたしはわたし。その、わたしって?


[二つの態度:内向と外向]

「意識の方向…内向と外向1/タイプ論(2)」(08/11/05)
 →内向と外向。意識の向く方向…

「内界と外界…内向と外向2/タイプ論(3)」(08/11/11)
 →外的世界に生きる人、内的世界に生きる人…

「得意と不得意…内向と外向3/タイプ論(4)」(08/11/12)
 →それぞれ得意な方向もあれば不得意な方向もある…

「共有ということ…内向と外向4/タイプ論(5)」(08/11/18)
 →外向型と内向型では、共有という意識に差が出るようです…

「共有と生き難さ…内向と外向5/タイプ論(6)」(08/11/19)
 →共有 → 理解 → 生きやすさ、生きづらさ…

「適当ということ…内向と外向6/タイプ論7)」(08/12/02)
 →適当に振舞える人、それが苦手な人…




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[四つの機能:思考、感情、直観、感覚]

「四つの機能/タイプ論(8)」(08/12/03)
 →何かを前にした時、タイプが出る…

「合理的機能と非合理的機能/タイプ論(9)」(08/12/09)
 →判断を下す機能と、受け取る機能…

「対立する関係/タイプ論(10)」(08/12/10)
 →競合する機能は対立する…

「競合する機能とサポートする機能/タイプ論(11)」(08/12/16)
 →競合しない機能はサポートできる…

「主機能と劣等機能/タイプ論(12)」(08/12/17)
 →主機能、補助機能、劣等機能…

「分化・未分化/タイプ論(13)」(08/12/24)
 →確立した機能と確立してない機能…


「タイプに優劣なし/タイプ論(14)」(09/01/13)
 →性格には優劣も善悪もない…

「思考タイプ/タイプ論(15)」(09/01/14)
 →思考とは? 思考ってどういうもの?


「外向的思考タイプ(1)/タイプ論(16)」(09/01/20)
 →外的基準を大切にする人…

「外向的思考タイプ(2)/タイプ論(17)」(09/01/21)
 →枠を重んじるばかりに感情を抑圧する…

「外向的思考タイプ(3)/タイプ論(18)」(09/01/27)
 →感情を抑圧し、その分、影響を受ける…

「外向的思考タイプ(4)/タイプ論(19)」(09/01/28)
 →コミュニケーション上手と、内界ベタ…

「外向的思考タイプ(5)/タイプ論(20)」(09/02/03)
 →外向的思考タイプの影…

「外向的思考タイプ(6)/タイプ論(21)」(09/02/04)
 →次のステップとして…


「内向的思考タイプ(1)/タイプ論(22)」(09/02/10)
 →自分の考えを大事にするタイプ…

「内向的思考タイプ(2)/タイプ論(23)」(09/02/11)
 →主観と客観…

「内向的思考タイプ(3)/タイプ論(24)」(09/02/17)
 →自身の理解と他者の理解の間で…

「内向的思考タイプ(4)/タイプ論(25))」(09/02/18)
 →内向的思考タイプの影…

「内向的思考タイプ(5)/タイプ論(26)」(09/03/03)
 →まとめとこれから…


「輪の外と中/タイプ論(27)」(09/03/04)
 →人の近くにある輪…


「感情/タイプ論(28)」(09/03/10)
 →感情って、どういうもの?

「外向的感情(1)/タイプ論(29)」(09/03/11)
 →感情を共有しようとするタイプ…

「外向的感情(2)/タイプ論(30)」(09/03/17)
 →共有上手、コミュニケーション上手の裏側…

「外向的感情(3)/タイプ論(31)」(09/03/18)
 →多数と少数。少ないというのは無いということではない…

「外向的感情(4)/タイプ論(32)」(09/03/24)
 →外向的感情タイプの影…

「外向的感情(5)/タイプ論(33)」(09/03/25)
 →眠っているものは起き出す…

「外向的感情(6)/タイプ論(34)」(09/03/31)
 →まとめとその先…


「内向的感情(1)/タイプ論(35)」(09/04/01)
 →「わたしは」という生き方…

「内向的感情(2)/タイプ論(36)」(09/04/07)
 →流されない「わたし」…

「内向的感情(3)/タイプ論(37)」(09/04/08)
 →人が多いほど孤独になる…

「内向的感情(4)/タイプ論(38)」(09/04/14)
 →内向的感情タイプの影、自分の場とみんなの場…

「内向的感情(5)/タイプ論(39)」(09/04/15)
 →起き出した思考…

「内向的感情(6)/タイプ論(40)」(09/04/21)
 →まとめとこれから…


「感覚/タイプ論(41)」(09/04/22)
 →受け取る機能…

「外向的感覚(1)/タイプ論(42)」(09/04/28)
 →多くの人と同じように受け取る…

「外向的感覚(2)/タイプ論(43)」(09/04/29)
 →感覚を楽しみ、共有し、今を楽しむ…

「外向的感覚(3)/タイプ論(44)」(09/05/12)
 →外向的感覚の影、内向的直観…

「外向的感覚(4)/タイプ論(45)」(09/05/13)
 →ステップアップ、補助機能で変わる…

「外向的感覚(5)/タイプ論(46)」(09/05/19)
 →まとめ…


「内向的感覚(1)/タイプ論(47)」(09/05/20)
 →わたしの受け取り方、特有の感覚…

「内向的感覚(2)/タイプ論(48)」(09/05/26)
 →内側にあるものは誤解され…

「内向的感覚(3)/タイプ論(49)」(09/05/27)
 →説明が苦手なタイプ…

「内向的感覚(4)/タイプ論(50)」(09/06/03)
 →眠っていた直観が動き出す…

「内向的感覚(5)/タイプ論(51)」(09/06/04)
 →まとめ…


「直観/タイプ論(52)」(09/06/09)
 →可能性を受け取る機能…

「外向的直観(1)/タイプ論(53)」(09/06/10)
 →可能性を見抜く目、追い続ける姿勢…

「外向的直観(2)/タイプ論(54)」(09/06/16)
 →未来への志向、現在への無関心…

「外向的直観(3)/タイプ論(55)」(09/06/17)
 →可能性を追いかける、安定に息がつまる…

「外向的直観(4)/タイプ論(56)」(09/06/23)
 →影としての、内向的感覚…

「外向的直観(5)/タイプ論(57)」(09/06/24)
 →まとめ…


「内向的直観(1)/タイプ論(58)」(09/06/30)
 →無意識の中に可能性を見出す…

「内向的直観(2)/タイプ論(59)」(09/07/01)
 →ちょっと向こうを見ている人…

「内向的直観(3)/タイプ論(60)」(09/07/07)
 →外的現実との距離…

「内向的直観(4)/タイプ論(61)」(09/07/06)
 →影としての、外向的感覚…

「内向的直観(5)/タイプ論(62)」(09/07/14)
 →まとめ…


「各機能と説明するということ/タイプ論(63)」(09/07/15)
 →タイプによって説明の仕方も違う?

「終わりに…/タイプ論(64)」(09/07/16)
 →人間にはいろんなタイプが…



タイプ論はひとまず終了。

間を置いてから、章を変えて、またやろうと思います。





 → 「タイプ論│やさしいユング心理学講座」







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ユングは人間の傾向を、二つの態度と四つの機能に分類して定義しました。それが「内向」と「外向」、「思考」「感情」「直観」「感覚」です。

それぞれの言葉は聞いたことがあると思いますし、使ったこともあると思うのですが、その詳細については意外と無意識かもしれません。使うには使うけども、説明するとなると困ってしまう、みたいな。

というわけで、何回かに渡り、タイプ論についての記事を書いてみたいと思います。



二つの態度である「内向」と「外向」というのは、よく使われる言葉ですよね。「わたしはどちらかといえば内向的です」とか、「あの人は外向的だ」とか言うでしょ。

四つの機能はどうかというと、「あの人は感情的だ」とかは言うかもしれませんね。「思考的だ」とは言わないにしても、「何かにつけ考え込むタイプだ」とかは言ったりしそうです。「直観的な人だ」なんて言い方もしますでしょうか。「感覚的だ」「感覚タイプだ」という言い方は、あまり使わないかもしれませんね。

とまあ、言葉としては使っているけどその実よく分からない、といった感じでしょうか。あるいは、本来の意味の内、一部だけがクローズアップされて使われている、といったこともありそうです。

で、次回からは、それぞれの態度や機能について、そして、その組み合わせによるタイプ、などについて書いていこうと思います。





我々はある程度の統合性をもって生きていますよね。どこにいても、「わたしはわたし」と言えます。そう感じられる。

しかしその一方で、その「わたしというもの」についてどれくらい知っているのかというと、あやしい部分もあります。我々の目は外を見るようについていますから、自分については案外無頓着です。自分では○○のつもりでも、実際の自分が○○であるとは限りません。注意深く見ることがないだけに、よく分かりませんよね。こういうのは確かめてみないと分からない。

そして、人間もある程度生きていると、自分というものがよく分からなくなることもあります。上で、「どこにいても『わたしはわたし』と言えます」と書きましたが、ひょっとしたら、そういう感覚が揺らいでいる人もいるかもしれない。今までそんなことを考えたこともなくて、今になって探し始めている人もいるかもしれません。また、逆に、何年も前から、人一倍探している人も、いるかもしれない。あるいは、一生そういうことは考えない人だっているかもしれません。

そんな中で、それぞれの人間というものを見ていく手段というのはいろいろとあると思うのですが、ユングのタイプ論というのも、そのひとつだと思います。

「はて、わたしとは何だろう?」「何者なんだろう?」「わたしって、どういうタイプなんだろう?」――そのような問いに対する、ひとつの指針ですね。切り口を与えてくれるものだと思われます。(それですべてが分かるというものではないにしても、ですね)


そして大事なのは、それをきっかけとして、どう生きてゆくかということ。

こういうのは別に、分類して喜ぶためにあるのではないと思うので、それぞれの人が自分の傾向を知り、これからをどう生きるかということの、ひとつのヒントとして使えばいいのだと思います。タイプ論にしたがって分類することが答えになるわけではありませんが、それをきっかけやヒントとし、それぞれが生きることによって、それぞれなりの答えが出てくるのでしょう。

(ある程度の時間をかけ、悩みながらになりますが)



現代日本の病理のひとつとして、安易に他者に答えを求める姿勢があると思われます。そして、いかにも悩んだり、考えたり、探したりすることが悪いことであるかのように語られたりしますよね。悪いこととは言わないまでも、その負の面ばかりが語られすぎると感じます。

もちろん、それにはつらいことも悲しいこともあって、負の面はあるのですが、それだけではないでしょ。悩んでこそ得られるものもあるわけで、特に、自分の人生の答えなんてものは、自分でしか導き出せません。人に与えてもらえるわけがない。人から与えてもらえるのは、ヒントとかサポートなわけでしょ。最終的な答えは、自分で出すしかない。人のことを参照することはあるとして、実際に何かを成すのは自分なわけですからね。

まずはこういう意識改革こそ、必要なのかもしれません。悩むことは、決して悪いことばかりじゃない。悩めないことこそ問題なんだ、と。

だいたい、何が遠回りで何が近道かは、よく見てみないと分かりませんよ。帰還者はだいたい遠回りを享受している。



――なんて、お得意の脱線モードになりましたが、以上のようなことも含めて、次回よりタイプ論についての記事を投稿したいと思います。

ではでは…











「タイプ論の目次」




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内向と外向、内向的とか外向的とか、こういうのってよく使われる言葉ですよね。

それぞれを辞書で引くと、以下のように書かれてあります――


【内向】
心のはたらきが外に向かわず、自分の内面に向かうこと。
【内向性】
〔心〕 ユングによる性格タイプの一。内気・控えめで思慮深いが、実行力に乏しく、周囲の社会的なものへの興味をもたず、自己の内面に関心をもつ性格。

【外向】
心のはたらきが外界に対して積極的・能動的・実践的なこと。
【外向性】
ユングによる性格タイプの一。活動的で、感情をよく表にあらわし、社交的で周囲に同化しやすくいつも外のものに関心を示すような性格。

(三省堂「大辞林」より)



このように、それぞれ意識が向かう方向が、内であったり、外であったり。

内向型の場合、関心が内に向かうので、外とあまり関わろうとしません。どちらかというと、内的な世界の方に興味がある。故に、上に書かれているように、控え目な印象で、実行力が乏しい(←実際に何かしようとするよりは、内的世界で生きることを望むから)。積極的に社会に参加しようとする意識もそんなにないかもしれません。

一方、外向型の場合、関心が外に向かうので、積極的に人の輪に加わろうとします。上にあるように、活動的で、感情もよく表す。何かにつけ、参加するのが得意。苦にしない。

と、これだけ書くと、内向型の印象が悪い感じがしますが、上にありますように、内向型は実行力に欠ける反面、思慮深かったりします。そして、これを外向型に当てはめるなら、外向型は行動力はあるが、反面、思慮が浅い傾向にある、ということになるでしょうか。深みが必要な分野では、内向型の方がうってつけです。

まあ、お互いに秀でた傾向もあれば、そうでない傾向もある。得意な分野もあれば、そうでない分野もあるということです。それが性格。



それと、上は分かりやすいように線引きしていますが、実際の人間というのは、そんなに簡単なものでもないですよね。もう少し境界があやふやというか、両方を包含していたりするでしょ。

内向型に積極性がまったく無いかというと、そんなことはない。内向型でも積極性を示すことはあります。比較的実行力が乏しいにしても、何かしらを実行することもあります。また、外向型にしたって、概ね実行力があるにしても、消極的な面が出ることだってあるでしょう。

このように、内向型にしろ外向型にしろ、いつでもどこでも100% その型が出るわけではないので、注意です。そいつは一応の傾向ですからね。



上のことからも分かるように、内向型と外向型では、関心のある方向が違います。意識の向いている方向が違う。そして、意識というのは、ひとつにかかりきりになると、もう一方に対しては無意識になる性質があります。意識というものは、何かひとつに使われると、他のことには無意識になってしまうんですね。

例えば、前を意識すると――それも集中すれば集中するほど――後ろに対しては無意識になるでしょ。後ろには無頓着で、無防備。じゃあ、前を向いたまま後ろに気をつけようかとなると、後ろに集中すればするほど、前のことは疎かになります。で、じゃあ、どちらにも、となると、こんがらがってきますよね。周囲全体を意識して、とかなると、もう他の事ができません。

意識って、このような性質があるんですよね。何かに意識を使うと、他のものには無意識になってしまう。それは暗闇を照らすライトのようなもので、集中して照らせばそこはよく見えるけども、他は見えない。あるいは、ある程度拡散して照らすことも可能ですが、それだと範囲は広がるけれども、明るさは薄まる。

これを内向と外向に当てはめた場合、内向は内側に意識を使うので外側には意外と無意識、外向は外側に意識を使うので意外と内側には無意識、ということになります。それぞれ意識の向いている方向に対してははっきりしていますが、反対の方向にはぼんやりしています。前者には、親しみがあり、付き合いもありますが、後者に関しては、不慣れで、不器用です。

意識がそちらに向くって、こういうことを意味するんですね。











続きは来週…

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前回書いたように、内向型は内側に向かって関心があり、外向型は外側に向かって関心があります。そして、それぞれ関心のある方向に意識を使っている。



すご~~くざっくりした例でいうと、外向型は、みんなと一緒に外を駆け回るようなことを好みます。一方、内向型は、ひとり部屋で本を読むようなことを好むでしょうか。この例でいうと、外向型は野山のような実際の世界を生き、内向型は本の中の世界を生きている、とも取れます。同じ世界でも、前者は外なる世界、後者は内なる世界です。

同じテレビゲームで遊ぶにしても、外向型はみんなでわいわいやるのを好むかもしれません。一方、内向型は、そのゲームの世界に深く入り込むことを好むでしょうか。

こんなことを書いていると、自分のタイプや価値観に反する側に対して異論が出そうですが、それぞれにはそれぞれの好みがあるので、それをどうこう言っても仕方ないですな。それと、こういうのはざっくりした例なので、仔細に関してはご勘弁です。それぞれのざっくりした傾向の話なので。(それぞれ、領域がかぶることもあるでしょう)



このように、外向型は実際の世界(外界)に関心があり、そこに積極的に参加しようとします。一方、内向型は内的世界に関心があり、そちらに関わろうとします。

と書くと、内的世界は実際の世界ではないように思うかもしれませんが、内的には実際の世界なんですよね。それぞれ特性が違うだけで。

外界というのは分かりやすいです。誰にでも見え、認識でき、触れる世界ですから。例えば、私の目の前にあるマウス。これは外界の産物です。私が手にとって、「これ」というと、近くにいる人はそれを容易に認識し、共有できます。「ああ、マウスのことね」と思うでしょう。

一方、私が頭の中で「カツ丼が食べたい」と思っているとしましょうか。こういうのは口にでも出さないと分かりませんよね。私が誰かを見つめて「カツ丼が食べたい」と念じても、それは伝わりません。これが内界の出来事。内界の出来事は、それを外に表現しないと伝わりません。共有できない。(時々、「カツ丼を食べたそうな顔をしている」と言われたりしますが)

あるいは、J・K・ローリングさんがハリー・ポッターの世界を生きているとしましょうか。例えば、執筆中とかで。でも、それって、本として外界に具現化されているから、「ああ、ハリー・ポッターの世界ね」とみんなが分かるんであって、それが本になっていなかったら、何のこっちゃ分からんわけでしょ。彼女がじっとしながらその世界を散歩していても、それを知らない人にとっては、何をしているのか分からない。これが内界の出来事。

でも、それってウソでもなんでもないでしょ。私はカツ丼が食べたいと思っているかもしれないし、J・K・ローリングさんはハリー・ポッターの世界を生きているかもしれない。ただ、外には表れていないだけです。

時折、外に表れていないものに対して何でもウソであるかのように言う人がいますが、外的現実と内的現実とでは性質が違うわけですから、それを同じように扱って判断するというのはナンセンスです。捉え違いもいいところ。



なわけで、内向型が内的世界に生きるというのも、単に非現実というわけではないのです。内的には現実、但し、外的現実ではない、そういうことです。(そして両者をつなぐものもある、と)

こういうものをやたら否定したがる人もいますが、内的なものが外界に具現化されたものの恩恵に与っていないのかというと、そんなことはないわけでしょ。小説や映画、芸術にだって触れているんだから。科学的なものにしても、内的なものの具現化がないとは言えんでしょう。

内界と外界というのは、同じように扱おうとするからややこしいんであって、それぞれの特性に注目すれば、合点がいくことだと思われます。











と、脱線しちゃいましたね。明日に続きます…

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同じものを見るときでも、内向と外向では注目するものが違うかもしれません。



外向型は、外に出る態度とか言動に注目するかもしれない。そういう外に出ているもの、誰もが共有できるものにこそ注目するかもしれません。

一方、内向型は、その奥にあるもの、内にありそうなものに注目するかもしれません。表情の奥にあるもの、言葉の奥にあるもの、そういうものにこそ注目するかもしれない。容易に共有できるものではなくて、それよりはその奥にあり隠されているものにこそ、関心が向くかもしれません。(*1

しかし、互いが自身と反対のものにまったく注目しないのかというと、そんなことはないでしょう。外向型でも奥のものに注目するだろうし、内向型でも外に表れるものに注目します。ただ、その度合いはそんなに大きくないだろうし、それに対しては案外不器用だったりするんですよね。



それぞれは自分の型に親しみ馴染んでいるので、それに対しては器用です。すっとできるし、スマートでスムーズ。しかし、反対のことには親しんでもいないし慣れてもいないので、案外、不器用です。

上の例でいうと、内向型の傾向が勝ちすぎている人は、多くの人が共有していることに対して無頓着で、時に誤解したりします。誤解云々の前にうまく読み取れないことさえあるかもしれません。

一方、外向型の人にも同じことがいえて、外向型の傾向が勝ちすぎる人は、表情や言葉の奥にあるものに対して、無頓着だったり、時に誤解したり。そもそもうまく読みとれないこともあるでしょう。



このように、我々はどんなタイプであるにせよ、反対のタイプに対しては、案外、不器用です。慣れていないし、うまく使えなかったりします。

また、そのことに対して無意識だったりするので、時にトラブルになったりもするのです。


それと、そもそもあまり関心がないので、意識をそちらの方には使わない、ということもあるでしょうね。











「タイプ論の目次」

来週に続く…





(*1

内向型は、それを見て感じるといった、いわば主観なものに注目する。

逆に、外向型は誰にでも分かる、客観的なものに注目するのでしょう。




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生息地:関西
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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