ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
エニアグラムについての記事――


「前書き」
 →シリーズ開始に当たって…


「はじめに①」
 →「あるがままに」ということ…

「はじめに②」
 →魔法は無いけれど…


「性格の表れ方」
 →性格はいろいろありますが、それがよい表れ方をする時と悪い表れ方をする時があるようです…

「各タイプについて、○○したい人たち」
 →各タイプの概要。いつも○○でありたいと願う…

「○○しなければならないという呪縛」
 →各タイプにある制限。こだわってしまうこと…


「しんどい時のあらわれ方」
 →余裕がない時というのは、性格の表れ方もまずくなったりして…

「ひかえる時とそれでもやる時」
 →自分の性格を知って、それで控える場合もあれば、それでも敢えてやる場合もあって…


「エニアグラムのねらい」
 →「いつも○○してしまう」からの脱却…

「制限と囚われ」
 →各タイプのあり方も、限定的になってくると困ったことになるようです…


「各タイプの囚われ」
 →各タイプの「囚われ」について…

「誤ったメッセージ」
 →幼少の頃に受け取ってしまった誤ったメッセージ…


「養育者の影響」
 →幼子の態度というものは身近な大人に影響されます…

「根源的な恐れ」
 →誰もが持つ、根源的恐れ…


「対抗手段と方法、愛されるために」
 →根源的恐れに対抗する、それぞれのタイプの手段…

「あなたは大丈夫」
 →ありのままのあなたで大丈夫…


「時間感覚」
 →人の性格というのは、時間感覚として表れやすいようですね…

「タイプという一室」
 →タイプというのは部屋のようなものかも…


「本能センター/三つのセンター」
 →本能センタ-について。自分の場を守らねばならない宿命…

「フィーリングセンター/三つのセンター」
 →フィーリング(感情)センターについて。気に入ってもらわねばならない宿命…

「思考センター/三つのセンター」
 →思考センターについて。恐れに追われる宿命…


「三つのセンター」
 →各センター(中枢)についての補足…

「ホーナイによる分類」
 →社会に関わる三つの型。己主張型、追従型、遊離型…


「バランス感覚(1)」
 →ありすぎても困る…

「バランス感覚(2)」
 →無さ過ぎても困る…


「こだわりと要求」
 →誰しも要求があって、その要求が憤りを生んだりもする…

「超自我という古い教師」
 →我々の中にいる古い教師…


しばらく、水曜木曜に、2タイプずつ掲載します。

「タイプ1の詳細」
 →正しさ・完璧さに対するこだわり。エネルギーの筋道…

「タイプ2の詳細」
 →自己犠牲の精神の裏にあるもの…

「タイプ3の詳細」
 →望まれるペルソナと、内面との癒着……

「タイプ4の詳細」
 →個性的な生き方と、世界への馴染み方の問題……

「タイプ5の詳細」
 →煩わしさゆえの隠遁。カタチにするチカラ…

「タイプ6の詳細」
 →外に助けを求めなければならない事情。内なる安らぎを探して…

「タイプ7の詳細」
 →追い求めねばならない宿命。満たされるということ…

「タイプ8の詳細」
 →闘う姿勢の裏にあるもの。優劣を超えたよいものも…

「タイプ9の詳細」
 →平和を愛する心と、頑固さ。葛藤の先にあるもの…


「学ぶべき姿」
 →各タイプには学ぶべき姿があるようです…



「コミュニケーションの難しさ」
 →コミュニケーションの難しさというのは、現代社会の持つ大きな問題のひとつかもしれません…


「タイプ1との付き合い方」
 →ちゃんとしたい人なんだ…

「タイプ2との付き合い方」
 →役に立ちたい人なんだ…

「タイプ3との付き合い方」
 →成功したい人なんだ…

「タイプ4との付き合い方」
 →特別でありたい人なんだ…

「タイプ5との付き合い方」
 →自分の時間を大事にしたい人なんだ…

「タイプ6との付き合い方」
 →安全でいたい人なんだ、頼っていたい人なんだ…

「タイプ7との付き合い方」
 →楽しみたい人なんだ…

「タイプ8との付き合い方」
 →強くありたい人、負けたくない人なんだ…

「タイプ9との付き合い方」
 → 穏やかに過ごしたい人なんだ…


「前提ってこと/エニアグラム」
 → 前提を無視するから分からなくなる、前提を知ればやりようもある…

「多様性という救い(1)」
 → 最近は「ひとつになりたい症候群」みたいなものがあるかもしれません…

「多様性という救い(2)」
 → みな一様な集団というのは、意外と脆い…

「多様性という救い(3)」
 → 違っているから補い合える…


「議論のカタチ」
 → 会議や議論の場でも個性が…



以上を持ちまして、いったんこのシリーズはおしまいです。







【関連記事】
「タイプ論の目次/ユング心理学」
「シリーズ うつ病の目次」

「心理・教育のアーカイブ」


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はじめに――


どこまで伝わるかは、実のところ分からないのだけれども、人間、人生のどこかで、「変わらなければならない時期」が来るように思います。

それは自身の内部から来るかもしれないし、外部から来るかもしれません。

理由もなく、にっちもさっちもいかなくなる場合もあれば(=明確な理由もなくガス欠状態になって、動けなくなることもあれば)、外的な――いわば現実的な――理由で、にっちもさっちもいかなくなる場合もあるでしょう。あるいは、この世の中で生活する以上、その両方が複雑に絡み合うかもしれません。

で、そういうものに際して、人は自分なりにいろいろと考えるのだと思うのですが――というか、考えざるを得なくなるのですが――その、私なりのひとつの答えが、「変容への要望」です。

内的にせよ、外的にせよ、変わることが要望されるわけです。(「変われ、変わらんことにはどうしようもあらへん」そういう声が直接聞こえるわけではないですが、メッセージや意味として、全体の布置の中にそういうものが含まれていると思うのです)。ともかく、そうしないことには、どうにもならんのですね。

まあ、このひとつの答えを武器に、すべてをぶった切る気はさらさら無いのですが、多くある答えの、大事なひとつだとは思います。



まあ、人の数だけ人生があるとして、そして、その個人が、生まれてから自分なりの人生なり性格なりを築いていくとして――何かありがちな言葉になってしまいますが――やがて「壁」とか「行き詰まり」とかに遭遇するものだと思います。

まあ、それも当たり前で、例えば、性格というものを考えると、ひとつの性格を築いていくということは、多くある人間の傾向のうち、ある一点を強調するみたいなものですから、下の図のように、どうしても歪なものになってしまうんですよね。

突出した性格


例えば、病気と呼ばれるものはいくつもありますが、それだってある見方をすれば、ある性格が極端に大きくなったものだと言えなくもありません。(まあ、乱暴な言い方をすれば、ですが)

病気云々は措いといても、
やさしいのはいいけれど、やさしすぎるとにっちもさっちもいかないわけで、
多少怒るのはいいけれど、何にでも怒るようだと困ります。

厳しすぎるとしんどいし、厳しさがないと緩んでしまう。
寛容なのはいいけれど、犯罪的なものにまで寛容だと社会が維持されない。

空気を読むのはいいけれど、その空気で窒息したら困ります。
個性的なのはいいけれど、個性的でなければならないとなると、これまた息苦しいです。

このように、人間というものは、一方向のみには進めないんですね。

進めるにしても、どこかで不都合が生じるのです。


もっと現実的な問題にしても、今まで頼りにしてきた○○が通用しなくなるということもあるでしょう。
例えば、ある技術を持っていて、それで今まで十分にやっていけたのが、ある日突然、通用しなくなることだってあります。

それは職業的なものもあろうし、もっと身近な挨拶的なもの、付き合い方、それが何であるにせよ、突然今まで当たり前だったものが通用しなくなることもあります。



これじゃあ、まいっちゃいますよね。心が沈んじゃうのは当たり前。身動き取れません。拠り所や支えが、ふっと消えちゃうわけですから。

で、理由はどうあれ、こういう時は変わることが要望されるのだと思います。

いや、誰が悪いとか、あれが悪いとか、こうしとけばよかったとか、そういうのでは全然無いのです。

善悪関係なく、ともかくどうにかしなければならない。

変わらなければならない。

そういうことだと、私は思うのです。

(それを避けたから生じたであろう不幸も、ニュースなどで報じられたりします)


息が詰まって死にそうになっているとしたら、何とかしなくちゃいけないでしょ?
血を吐きながら、それでも走り続けているとしたら、そのままでは危ないでしょ?
何かが失われていくまま放置していると、それも怖いでしょ?

今までが通用しなくなったら、これからを探す必要が生じます。
足りないものがあれば足さなければならないし、
余計なものがあれば、切り離さなくてはなりません。

何かをするにしても、何かを止めるにしても、
何かを身につけるにしても、何かを棄てるにしても、

方向転換みたいなものは必要になるわけです。
特に、一方向に進んでいればいるほど、ですね。

善悪関係なく、誰のせいとかも関係なく、ともかく、そのままだと苦しかったり、危なかったりするんだから、変わらないことにはどうしようもないでしょう。

それが「やりなおす」ってことです。



で、その時に役立つ羅針盤のひとつではないかと思うのが、『エニアグラム』なんですが、このシリーズでは、下記の本を参考にしながら、自分なりに理解したこと、思ったこと、考えたこと、振り返ったことなどを、記事にしていこうと思います。

どういうシリーズになるかは分かりませんが、どうぞよろしくお願いします。




 





次回は、火曜日に…


「エニアグラムの目次」





【注意】

でも、まあ、変わるってことを全面的に肯定しているわけではないし、ちょくちょく記事に書いてますが、変わるということは痛みを伴うものです。

「生まれ変わる」となると、文字通り「死」を経ることですから、もう言葉にならないほど大変です。

なわけで、「変わる」ということは、どうしても変わらなければならないとか、変わらないとしょうがないとか、変わらないことには破滅してしまうとか、そういう人がやるのだと思います。逆に、手軽な気持ちで変わろうとしたら、今まで問題なかった人が病気になるかもしれません。

変わるってことは、そういうことでもあるんでしょう。

心理学とか、心の問題、変容というものはそういうものなので、業の深い人だとか、にっちもさっちもいかない人が、変容すべきなのだと思います。

まあ、変わるということはそれくらいたいへんな仕事です。

それは今まで否定してきた方向――あるいは、見逃していた方向――に進むようなものなんですから。

他の性格の人はなんとも思っておらず、しかし自分にとってはなかなかできないこと、踏ん切りがつかないこと、それをやるようなもんなんですから。

(まあ、その辺のことも、後ほど…)




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われわれは、あるがままにものごとを見るのではない。
われわれがあるがままにものごとを見るのである。
――タルムード

(「エニアグラム――あなたを知る9つのタイプ」P.6より)



一見、「?」となるような不思議な言葉ですが、要は、
普段、我々が見ている風景は「あるがまま」とは限らず、目の前のそれを「あるがまま」に捉えるには、それなりの意識的な力が必要になる、
ということなのだと思います。

(いや、まあ、意識があるが故に、「あるがまま」が見え難くなっているともいえるのですが…)



これだけだとよく分からないと思うので補足すると、まず、我々は生きていく間に、性格なり考え方なり、あるいは規範なりというものを確立していきます。これらは、社会で暮らしていく上で、大切なものです。

ただ、そういうのはだんだんとパターン化されてくるんですね。
「X → A」「Y → B」「Z は C に決まっている」、そういう風に自動処理がなされてしまうわけです。

でも、まあ、これも必要なことで、決まりきったものにまでいちいち脳の機能を使うわけにはいきません。そんなことをしていたら、容量オーバーになってしまいます。他に手が回りません。

脳の機能であれ、我々の生活や仕事の手順であれ、決まりきったことはいちいち検証しません。(目の前のリンゴが本当にリンゴであるかとか、いちいち考えていたら、ややこしいし、キリがありません。身が持ちませんよ)
(まあ、仕事によっては、それが必要な場合もあるし、そうすること自体が仕事である場合もあるんでしょうけども)

人間の脳というものは、パターン化されたものはいちいち確認しなくても自動処理するようになっているようで、例えば、細切れになったような映像でも、脳が(実際には見ていない映像を)補完するカタチで、連続した映像として捉えるようになっているそうです。

他にも、止まっているエスカレーターに乗るとけつまずきそうになるのも、このためで、「エスカレーターというものは動いているもの」と脳が自動的に処理してしまうので、そうなってしまうそうです。(NHK「解体新書」参照)



このように、我々は多くのものを「そういうもの」として自動処理しているわけで、案外「そのもの」とか「あるがまま」というものは見逃していたりするんですね。目の前のものを確認しないままに、「そういうもの」と決め付けていたりするのです。

「X というものは、そういうもの」「Y というものは、そういうもの」
まあ、X にしろ、 Y にしろ、実際そういうものだったりするのですが、それはその一面であることもしばしば。多面的な X や Y の、一面に過ぎなかったりします。

あるいは、身近な X がそうであっても、別の X の性質はそうではないかもしれません。今までの Y がそうであっても、目の前にある今の Y がそうとは限りません。

しかし、我々はそれを確認することもせず、「ああ、X なんてそんなものだ」と(意識化さえもせず)自動処理していたりするのです。決め付けていたりするんですね。

でも、
それは確かにそう、
でも、それだけとは限らない、

そういうものに出会うことも、あるでしょ?

○○というものは××だ、なんて言っていたって、そうでない場合もあるはずです。例え多くがそうであったとしても、目の前のそれは、そうでないかもしれません。そして、案外、自分がそう思い込んでいるだけで、実体はそうでない場合も間々あるでしょう。そういう経験がないですか?

で、そういう意外な経験によって、思い直しできたり、方向転換できる場合もあると思います。

「へ~、○○も意外と△△なんだな~」と思うことだって、あるでしょ。


エニアグラムの狙いの一つは、それなんですね。

自身の性格を知ることで、あとで書く「囚われ」を知ったり、パターン化された自分を知り、方向転換を図るのです。

○○だと思い込んだり決め付けていたものを見つめなおし、仕切りなおすのです。

今まで一方向に進んだために行き詰まっていた状況を、視野を広げることで回避するんですね。それによって、第二の人生を歩んだり、自分自身をVer.2 にステップアップさせるのです。




「エニアグラムの目次」






 




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これから「エニアグラム」について、いろいろ書いてゆこうと思うのですが――それでいて、こういうことを言うのもなんなんですが――エニアグラムに魔法のような効果を期待するのは、違うのではないかと思います。

というか、例えば、下に紹介している本を読んで人生が好転するというのは、違うと思うんですよね。

いや、そんなものを読んでも幸せになんかならない、というのではないのです。エニアグラムが幸せを導くことなんかない、というのでもありません。

ただ、読んだだけでどうにかなるとも思えない、ということです。

こんなことを書くと、関係者の方はお怒りになるかもしれないし、これから読もうとされている方もテンションが下がるかもしれませんが、この辺のことに言及しないのはフェアではないと思うので、ここに書いておきます。



人間が変わるということは、私自身やあなた自身が変わるということでしょ。

例えば、下記の本を読んで、「ああ、なるほど」と思ったり、目から鱗が落ちたり、頭の上にふきだしが出てその中に電球が閃くなんてこともあると思うのですが、そこに留まれば、変わったとはいえないわけですよね。

(つまらないことを言ってスミマセンね、本当に)

変わるということは、今までしていなかったことをすることだったり、今までとは違った方向に進むことだったり、今まで怖れていた部分に足を踏み入れることだったり、つまり、それは実際的で、怖かったり、しんどかったり、はじめてするので不器用だったり、そういうものだと思うのです。

しかも、そういうものはパッと行なわれるのではなくて、仮にパッと転換されるにしても、時間をかけてなじませるものなのだと思います。時間をかけて身につけるものだと思うのです。

時に怖々、時に挫折したりもしながら、それでもやり遂げるものでしょ。
(まあ、そういう意味では、怖ろしくなることも、挫折することも、全然OKなんですけどね)

だから、それは「読んだだけで」というのではないわけですよね。
そのあとの、「自分で」という何かが、必要になるわけです。
そういう、たいへんで、しんどくて、怖ろしいことを、経なければならないんです。
(この辺は、性格的なものもあるんでしょうけども)



そういうわけで、私はエニアグラムに価値があると思っている人間ですが、それには自分に適用するという仕事が必要なわけで、それは魔法の力でもなんでもなく、自分で実際にするという、シンプルで当たり前なんだけれどもたいへんしんどくてつらい、そんな過程があると思うのです。

なぜ大変なのかというと、それは「今まで見逃していたこと」だったり、「今まで避けていたこと」だったり、「何らかの理由でできなかったこと」だったりするからです。

そういう領域に足を踏み入れるのは、勇気が要りますよね。
まあ、勇気の要る方向にさくさく進むのが好きな性格の人もいますが、そういう人は逆にそれを控えるというしんどいことを経験せねばならないわけで、どっちにしてもたいへんです。

いつもしていることを控えねばならず、いつもしてないことをせねばならず、そういうものを経なければならないんですね。しかも、それを時間をかけて馴染ますわけです。

だから、「どうしても、それをしなければならない」ような人でないと、それをやり遂げるのは大変なわけです。


いや、まあ、それはあくまで私の考えで、もっと手軽に、例えばビジネスに役立てるとか、人間関係に役立てるとか、そういう使い道はあると思うのですが、このブログでは、もちっと違った捉え方をしたいと思います。

まあ、それが私という人間の捉えた視点だということでしょう。(捉え方は無限だ)

それを迷惑に思う人もいると思うのですが、まあ、人気のない個人のブログですから、その辺は赦してください。



というわけで、そんなことを思いつつ、シリーズを続けたいと思います。





「エニアグラムの目次」

続きは、来週火曜日に…





 




まあ、魔法があるにしても、魔法を魔法たらしめる、そんな工夫や努力、長い期間が必要だということです。

「よいもの(価値あるもの?)は高くつく」
河合隼雄さんも、そのようなことをおっしゃっていたはずです。




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人間、いろんな性格の人がいますよね――

悲観的な人、疑り深い人。
何でもポジティブに受け取る人。
生真面目でキッチリしている人。
大人しくてめったに話さない人。
誰かに寄り添いたい(ついて行きたい)と思う人。
外を出歩くのが苦手な人。
言いたいことははっきりいう人。

(ん? どこかの教室みたいになってきたぞ…)

いろんな性格があると思うのですが、そういうのはプラスに働く場合もあれば、マイナスに働く場合もあるでしょ。

概ね善いとされる性格、概ね悪いとされる性格、好まれる性格、好まれない性格、フツーの性格、そういうのはその人が所属する集団なり文化なりにも左右されますが、それはともかく、性格というのは多面的であって、そのどちらにも取れると思います。

あと、程度問題ですね。
程々である場合は問題なくても、それが突出してしまうと、ややこしいことになる場合もしばしば。

多少悲観的なのは構いませんが、何にでも悲観的だと、身動き取れないし、捉え違いもしてしまいますよね。物事を疑うことも人生には必要ですが、何でも疑っているとややこしいし、逆に危ない方向に進んでしまうことだってあります。

ポジティブなことは一般に善いとされていますが、何でもポジティブに捉えられてしまうと、ややこしいです。それで現実が見えなくなることも、あるかもしれません。

キッチリしていることも好まれる性格ですが、それも行過ぎて、キッチリ収めるために対象を切り刻むようになると、これは怖ろしいですよね。

と、まあ、このように、性格というのは、どちらにも取れるし、程度によってそのあり方も変わってくるわけです。



そんなわけで、うまいことよい方向に働く時もあれば、悪い方向に働く場合もあって、

疑り深いが故に危機を回避できる場合もあれば、疑り深いが故に好機を逃す場合もあります。
ポジティブだからみんなを気持ちよくすることもあれば、ポジティブだからみんなをゲンナリさせる場合もあるでしょう。(そんなことまで、そうとるか、みたいな…)
キッチリしていて助かったと思う場合もあれば、キッチリしていて面倒だと思う場合もあるでしょう。

まあ、性格だからそれでいいというのも、その通りなんですが、それ故にいつも困ったことになっているとなると、ややこしいですよね。そのままでいいのはそのままでいいとして、何とかしたいことは何とかしたい。また、本人の思っていることと周囲の思っていることとのギャップというのも、当たり前に存在するでしょう。



あと、体調とか場面というものも、深く関係することがあって、例えば、余裕がある時には何の問題もなくバランスが取れているのが、余裕やゆとりがなくなった時には、性格の一部だけが極端に表に出てしまうような場合もあるでしょ。あるいは、性格が極端に出やすい特定の場面みたいなものも、あるかもしれません。
こういうのは自分では分かりませんが、身近な人で、○○のようなケースになるといつも△△になってしまう、というのは割合目に付きやすいはずです。そして知らず知らず、我々も、そういった面を持っているものなんでしょう。

その時にプラスに働いていればいいのですが、余裕がない時なんかは、どうしてもマイナスに働きがちですよね。いつも××してしまって、失敗するとか。あとでそれに気づいて落ち込むとか。

我々は自分のタイプにそって、いつも○○してしまう。
そして沈んだり、悩んだり、嘆いてしまったりする。

エニアグラムの試みのひとつは、それに気づき、ちょっとずつ変えていこうというものです。

その「いつも」を、何とかしようというのですね。



というわけで、次回はそれぞれのタイプについて見ていきましょうか…




「エニアグラムの目次」





 




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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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