ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
「老い」や「老いる」、「老ける」というと、どうしてもマイナスイメージが付きまといますが、
これは誰しも避けようの無い道であるし、
どちらかというと、自然なことであるようにも思います。

(あまりに、老いから逃れようとするのは、実は、不自然なことかもしれません)



人生の前半を「上る」、人生の後半を「下る」、と表現する事があります。
まあ、体力や身体的なことをいうと、そうなるでしょうか。

それを以下のように、立体的に表してみました。

老い-1

見ての通り、前半上って、後半下っています。



では、この図を上から見たら、どうでしょうか?

老い-2

図のように、上り下りは関係無しに、ただ前進しているように見えます。


上から見る、というくらいですから、
これは「天の視点」かもしれません。

天から見れば、上り下り、老いはあまり関係なく、
それは「人間として、前進している」という風に見えるかもしれません。



一方、横から見たらどうでしょうか?

老い-3

これは、上り下りが、クローズアップされているようにも見えます。


横から見る、これは同じ位置から見る、
→「人の視点」かもしれません。

人の視点から見れば、前進するということよりも、
上り下りのほうが、目に付くのかもしれません。

(また、横にいる人との違いが気になるかもしれません)



まあ、こういう風に、人の人生も、視点によって、いろんな見方ができるわけですが、

人の視点で、老いという下りを嘆くばかりでなく、

天の視点で、人間として前進している、と捉えるのも、ひとつの見方かな、と思います。


そして、個人的なことをいえば、
生きていく中で、少しでも成熟できればな~と思います。



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人間の意識・自我は、下の図のように、
無意識に根ざし、無意識の上に立っています。

(無意識から生まれている、とも言えるでしょうか)

老い-4



人間は、人生の前半で、自我を鍛え、世界に積極的に関わっていきます。

そういう意味では、以下の図のようになるかもしれません。

老い-5

自我は世界と広い接点を持ち、いろんなことを体験したり、吸収したりします。


人間が世界と関わるのは、意識・自我の部分です。
世界の中で自我を育て、あらわし、関わっていきます。



一方、人間の人生の後半を考えた場合は、以下の図のようになるかもしれません。

老い-6


体力や身体機能は衰え、活動範囲は狭くなるかもしれません。
また、地位や役割を退けば、世界に関わる機会も減るかもしれません。

世界に関わる部分は減り、
その分、無意識的な部分との関わりが増えるかもしれません。

(もちろん、世界とまったく関わらないわけではないですが、若い時よりは、世界と関わる場面は減る傾向があるように思います)



無意識的な部分とは、

・自己
・人間の内的な部分
・人間そのもの(原人間)
・元型

…のようなものです。


世界との関わりは減るのですが、
そういう部分と向かい合う場面は増えるのかもしれません。

(外に関わるか、内に関わるか…その差でしょうか)

そして、やがて、死をもって、
無意識に溶け込み、
生まれたところに、還ってゆくのかもしれません。




【蛇足】

あくまで、一つの見方です。

これですべてが語られるものではありません。

それぞれのタイプの差だってあるでしょう。

(人生の前半と後半、外界と内界、躍進と成熟)
どちらが良いというものでもありません。

(全体性というものを考えるなら、どちらも必要でしょうか)



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昨日の記事で、人は人生の前半で外界(世界)と積極的に関わり、人生の後半で内界(無意識や自己)と関わっていく傾向があると書きましたが、もちろん、すべてがこの限りではありません。



ある人は、人生の前半では、仕事や家事に忙しく、広く外界に関わる事ができず、
人生の後半で、より積極的に外界に関わっていくかもしれません。

また、ある人は、人生の前半では、自分の内面と向き合う暇がなく、
人生の後半で、その仕事に取り掛かるかもしれません。


共通しているのは、人生の前半でできなかった生き方を、人生の後半ですることでしょうか。

これは、「全体性」ということを考えても、理にかなった傾向かもしれません。

(足りないものを、人生の後半で、補う…)
(何が足りないか、どんな生き方をしてこなかったか、は人それぞれでしょう)
(マニュアルも、一般論も、ないように思います)



ただ、人生の前半においても、後半においても、
ある種の「制限」みたいなものは、あるようです。

人生の後半では、どうしても体力が衰えます。
視力や聴力などの、身体の機能も衰えるでしょう。
これが、制限になります。
(若い時と同じにはいかないようです)

一方、人生の前半にも制限があって、
お金を稼がないことには暮らしていけないので、どうしても仕事にウェイトがかかるだろうし、
子育てという大変な仕事にも、大きなウェイトがかかりますから、
どうしても、行動が制限されるように思います。

また、これだけでなく、各個人によって事情があることだし、
いろんな制限が加わっていくのだろうと思います。



但し、いろんな制限があるにしろ、何もできないわけではないし、
老いという人生の後半を考えた場合、

今まで生きられなかった生き方と向かい合ったり、
したかったけど(事情があって)できなかった生き方と向かい合ってみるのも、
意味深いと思います。



ただ、何ごとにも準備が必要で、急にやろうとしても難しい部分がありますから、
(まあ、できないわけではないですが…)
ある程度のうちから、そういうものにアンテナを張って、
準備に心を馳せるのも、いいのかな、と思います。

(まあ、強迫や強制ではなくて、「楽しみながら」…ですかね)



【蛇足】

老いに逆らうよりは、
「素敵に老いる」が格好いいかな。



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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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