ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
防衛機制というものは、それがパターンとなって、自動化し、ずっと働くようになると厄介ですが、防衛機制そのものに罪はなく、むしろ必要なものです。

心の保護装置みたいな面がありますからね。



それは、「そうしなければならなかった」もの、

それだけの「事情」があったもの、

「そうやってでも、守らねばならなかった」もの。

(誰も責められないもの)


何より、そういう風に、人間に、生まれながらに備わっているものでもあります。

(まあ、各人のタイプによって、その使われ方は違いますが…)



とはいえ、それをずっと持っていると、いろいろと不都合が生じてくるので、防衛機制との戦いは、

如何に、そのパターンを打ち破るか、
自動反応から脱するか、
そして、そのために、如何に気づいていくか、

――それらが大切になってきます。

(仏教的に言うと、「解脱」ですか)



ループの中にいる限り、それは無限であり、

ループから脱した時、それは道程になります。



いつも、それに戻ってしまい、堂々巡り、

いつも、そこに行き着いてしまう、

それをどうやってブチ破るか。


したがって、決意も、痛みも、伴うことになるでしょう。



それを踏まえて、さてどうするか、ってことですね。





いつもわがままガマおうじ
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防衛機制の中に、「麻痺」なんて項目はないと思いますが――まあ、(ある面から捉えた場合)防衛機制的な働きをするということで――あえて入れてみました。

「麻痺」とは、文字通り、感覚を麻痺させることで、それによって、目の前の問題や脅威に対処しようとする、人間の原始的・本能的な試みです。


目の前――それが外界であれ、内界であれ――に、何かしらの問題、あるいは、不安や争い、脅威などが存在する場合、それに対して、自らの感覚を麻痺させ、それによって、

ああ、問題はない、不安や争いごとなど存在しない、
私を恐れさすものなど何も存在しないのだ、

と、ある意味、自らを欺き、納得させるんですね。

私は平和だ、私の近くには、不安も、問題も、敵も、争いごとも、何も存在しない。

そういう風に、納得しようとするんです。



しかし、当たり前ですが、目の前には、不安や問題が存在しているかもしれないわけで、こういうやり方は、いつかは破綻してしまう可能性を包含しています。

いくら感覚を麻痺させて、それを無いように感じようとしても、実際問題、あるものはあるし、無いものは無いんですから。

(そこに何があるのかは、見てみないと分かりません)



ただ、こういう、感覚を麻痺させて凌ぐ(しのぐ)というやり方は、いろんな生物にも内在し、使っていそうなやり方ですね。

そういう意味で、非常に理に適っているのかもしれません。

(破壊されるよりは、麻痺してやり過ごすほうがいいでしょう)


しかし、これがパターン化、固定化してしまい、自らの生き方や性格にまでなると、問題が生じるかもしれません。

つまり、「いつも」になると、ややこしいかもしれませんね。

なにせ、不安や問題を感じないようにしようと、無意識的な働きが常に(自動的に)稼動するわけですから、もし、不安や問題が出現した時に、不安や問題、そのものに、対応することが出来ません。

やり過ごせるような代物ならいいわけですが、やり過ごせないようなものの場合、深刻なダメージを受けてしまう可能性もあるわけです。

目の前に問題が迫っていても――この、メカニズムにより――何も問題は無い、私は平和である、と自らを欺いてしまうのですから。





精神科医が書いた あがり症はなぜ治せるようになったのか ―社会不安障害(SAD)がよくわかる本
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「麻痺…その二」に続く…)





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「その一」からの続き…)

自らの感覚を麻痺させるというのは、まあ、幼い子であったり、成人でも、それが短期間なら、あまり問題ないのかもしれませんが、それが、『いつも』なら、何かしらの問題を生んでしまうかもしれませんね。

頑固さというものは、ある場合には大いに必要で、現状を打破する、大きな力を与えてくれたりもしますが、「頑固に目の前のものを見ることを拒む」となると、ややこしいことになりそうです。

(一時的になら、問題ないとは思うのですが)



問題は何もない、ここは安全だと信じ込むことは、確かに、ある種の心地好さを与えてくれるかもしれませんが、目の前や、自分の置かれている状況を見てみない限り、本当に問題はないのか、それが本当に安全なのかどうかは、分かりません。

そして、本当に安心するためには――あるいは、安心・安全を獲得するためには――目の前のものと勝負しないといけないような場合も、人生には、確かにあるようです。

(勝負しないまでも、確かめる必要はあるでしょう)
(あるいは、確かめることで避けられる衝突もあるかもしれません)



自分の感覚を麻痺させてやり過ごすというのも、短期的に見た場合、効果的だとは思いますが、それがあまりに継続した場合、パターン化してしまった場合は、ややこしいことが起こるかもしれません。

余計に状況を悪くすることだって、あるでしょう。

(麻痺することで、現状確認をしないんですから)

つまり、他の防衛機制同様、麻痺という、人間に備わっている機能も、ある程度成長した後には、卒業すべきものなのかもしれません。

特に、そのおかげで、にっちもさっちもいかないような状況を作り出してしまっているような場合には、ですね。

確かに、頼りにはなるんだけれども、いつかは卒業すべきものなのかもしれませんね。

(子供時分に、あまりああだこうだ言うことでもないと思いますが)





影の現象学 (講談社学術文庫)
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【追記】

しかし、まあ、厳しい現実の中で、たまに麻痺するくらいは、むしろ健全という気がしないでもないです。

問題は、「たまに」か「いつも」か、ですかね。





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Author:南方 城太郎
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分類:昭和人間
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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